うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

毒親はどのようにして、子供を愛するのか、子どもはなぜそれを愛情と勘違いするのか

毒親はどのようにして、子どもを愛するか。

 

答えは簡単である。

自分の延長線上にある「道具」として、愛するのである。

 

幼い頃は、自慢できる子として役に立つか(自分の自己愛が満たせるか)、成人後は、自分の心身の面倒を見てくれる存在として役に立つか(まさしく道具)、常に虎視眈々とどれだけ自分の役に立つ道具となり得るかを狙っているのが、毒親である。

 

■子供が親自身の心身を、まるで親のように世話してくれる存在として愛する

・自分の心(自己愛)の傷つきを癒してくれるか(悩みを子どもに聞いてもらう、日々の不快な感情を子どもの心に押し込む)⇨子の勘違い:子どもは親が自分を信頼しているから悩みを話してくれるのだ、頼ってくれると勘違いする。

*例:母が外で人間関係がうまくいかない悩みを真剣に聞いてあげた後、あまりに悲嘆にくれているので同じ気持ちになって深刻に私が改善の方向で話を進めようとすると、突然母の機嫌が普通になり「しーらーなーい!」と母はその場の席を立った。恐らく私の心に苦痛を投げ込んでスカッとしたので(私自身が苦痛を感じた)、もう良くなったのだと思う。”知らない”って、てめーが先に悩みを話してきたんじゃねーかよ。つまり親は信頼して子に悩みを話しているのではありません。悩みを捨てるゴミ箱として子供を愛用なさっているだけです。

*例:2010年、うつ病急性期で病院に行けず拷問のような日々を送っていた時に、私はいっときも一人でいられなかったので、思考力を失ったままお風呂に一緒に入った。その時、うつ病でほとんど死の淵を彷徨っていた私に母が言った言葉「ねー老後どっぷり依存してもいーい?だめでしょ?」

は?

は?

は?

私が正常な時でも普通は言いませんっていうかそんなこと普通の親は思いもしません。私あなたの母親ですか?それを死の淵を彷徨っている時にさらに投げかけるなんて。

 

・自分の身体の世話をしてくれるか(老後の面倒)

例:姉が実家の近くに住みました。うちの姉も私と同じ思いをしてきているわけですが、認知症になったときに果たして面倒を見るんでしょうかねえええええ。。。。見るとしてもどうやって見るんでしょうかね?少なくとも今は、仕事に邁進して、心の面倒は見てやっていないようですが。(自分で自分の心のお世話ができない母親。姉は自分が見られていない分、心の世話の仕方は私に比べたらものすごく下手くそなので、ザマアミロ、といったところです。)

 

・本当は外では大したことがない人間であるが、それであるだけに、本来は卑屈であるのに、自慢を信じてくれる子供を相手に、自慢をして良い気分になる。⇨子の勘違い:うちのお父さん、お母さんってすごいんだ!と自慢に思う(ちゃんと信じてくれるってなんて健気。。。

 

■ストレスのはけ口(ゴミ箱)となり得るか(子供の心を傷つけ虐待をしてスカッとする)

*例:これはもういっぱいありすぎてやばいですね。何から例をあげましょうか。母は父を挑発して私に服が破れるほどの暴力を振るわせました。父が私に暴力を振るうことは父の普段の行動を見ていて母は無意識に知っていたことでした。

*例:「恐怖のジグザグ運転」車というのは家族の密室ですよね。家族4人で車に乗ってる時、どこの家でもあると思いますが、父と母が喧嘩をし始めるわけですね。その時、運転している母が、ジグザグ運転をすることが何度もありました。事故に遭うかもという、身体的な危険に遭わせる虐待と、威嚇という心理的虐待。

*例:母親と喧嘩になった際「のんのんの好きな人知ってるよ」と、突然言われた。黙っていると「Kだよ」と。私はその頃工藤くんという人が好きだった。なんで知ってる?なんで知っってる?と私は自分の部屋に駆け上がり、思わず日記を抱きしめた。知っているはずがない。読んだんだ、あいつは読んだんだ、そして読んだだけじゃない、私の心をえぐるように傷つけた。思わず日記を抱きしめた時の私の切迫感、親から愛されていないという切迫感。日記に助けてもらっていたのだ。信じられるか。

 

■支配欲を満たす存在として愛する

支配下におけるか(虐待的に関わり邪魔扱いしていたわりに側に置きたがる)

*例:小学校高学年で、普段全く、褒めて頭を撫でるとかしない父親。突然朝型寝ているところを布団の中に後ろから入ってきて、気づいたら父親の手が胸にありました。1度目はそのまま(虐待されている人にある、フリーズ凍りつき、という現象だと思います。私は人から何か理不尽なことをされた時、いつもこのフリーズ凍りつき状態になります)次の週もやってきたので(そもそも2週連続で私の部屋に来てくれたことなんてなかったのです。きっと1度目で、成長してきて大きくなった娘の胸をさわれたことで味をしめたのでしょう)、次は肘で応戦しました。次から来なくなりました。次から来なくなったならいいじゃない?と思う人もいるかもしれませんが、むしろ応戦したら次から来なくなったことが、邪心のあったことを証明しています。毎週来て頭でも撫でてくれればいいじゃないですか。でしょ?2017年監護者わいせつ罪が制定されました。要は父親が胸を触るなどの性虐待を、犯罪として認定した法律と言えるでしょう。親の性虐待は、虐待なんて甘っちょろい言葉で表現せず、犯罪者として刑事罰に処すべきです。こういう人たちは、世間体はよく見せようと必死で卑怯なので、世間に対してお前は犯罪者と言ってやらなければなりません。私は30年経過後、家族と、父が比較的気に入っている私の夫に暴露し、「殺したいほど憎い、同じところにいるのも苦痛」と言い放ってやりました。詳細は↓

rnonnon.hatenablog.com

 

・動物虐待

父が椅子を家のペットのビションフリーゼに頭から振り下ろし、血がバナナの皮のように流れ落ちました。かわいそうに、振り下ろされた後にウロウロしていた。母がその瞬間放った言葉

「お姉ちゃんにはショック受けるから言わないで!」

動物虐待を隠蔽しようという行為ですね。ショック受けるからって言うより、姉はこの時もう比較的親よりも上で怖い人間になっていたので、怒られるのが怖かったんだと思います。これも犯罪でしょう。とにかく、毒親なんて甘っちょろい言葉でなく、犯罪者、という方に言い方を変えませんか?

結局、父母の共犯罪、いや狂犯罪。。。

 

・価値観を押しつけて満足する

 

 

■自分の利益となるように自分の役に立つ存在として愛する

・世間に対して見栄をはることができるか、自分の自己愛を満たすべく役に立ってくれるか(教育虐待)

*例:母「あーうちは(子供の大学のランクが親戚の中で)5番目(私)と6番目(姉)だ」と私に向かって言う。ビリ2という意味だった。じゃああんたの大学は?私より低いんですけど。お前が東大に入ってから言え。

*例:うちの子は東大に入るもの、というプレッシャーを与える割に、実際には受験の時「放っておいてもできる子」などと言って、細かいところには一才関わらなかった。単に面倒だったんでしょう。⇨子の勘違い:私を信じて任せてくれたのに私は期待に応えられなかった

*例:受験後、軒並み良い大学は落ちて、またまた一緒にお風呂に入った際、母から言われた言葉「一ツ橋(大学:東大の次くらいの国立大)は(親戚に)受かったことにしようね」私は同意した。。。。。いやーいやー。これどう考えたらいいですかね。なんか親戚中に暴露してやりたい。いや暴露しよう。父の葬儀ぐらいの時に⇨子の勘違い:私のプライドを親戚から守ってくれているんだ。私が恥ずかしくないようにしてくれているんだ。

 

・子供が親自身の自己愛を満たす存在でなかった、つまり道具として役に立たなかったことが明らかになると攻撃する

*例:私が東大にもいけず、軒並み一流大学に落ちたことを知ると、母「散々期待させて裏切りやがって」

期待させて→お前が勝手に期待した

裏切った⇨裏切るって信頼を裏切ることを言うんですよね?私がいつ信頼を裏切りました?名誉毀損で訴えますよ。

私たち子供は、これらの親の所業を「ママはひどいこと言う」だけで済ませてあげていたんです。信じられません。そりゃー病気にもなりますよ。。。

 

■役に立つ道具ではなくなると、いとも容易く捨てる

・例:実家の私の部屋のドアにかけておいた私の名前の札が、結婚後帰ると、甥っ子の名前にすり替わっていました。ちなみに甥っ子にはちゃんと自分の親が建てた家も自分の部屋もあります。あそこの部屋で寝たことなんてただの一度もありません。ただ実家の近くに住んでいます。はやいねー捨てるのっ。結婚して近くにいなくなったから、もう役に立たない道具だなっぽいって捨てたわけです。

 

ごめんなさい、もっとあるのですが、これだけ思い出すのでも気分が悪く疲れました。また思いついた時に付け加えます。

 

私の考えですが、

毒親は子どもを愛しているという勘違いをやめるべきです。

毒親は子どもを愛してはいません。隙あれば傷つけてやろうと待ち構えているのです。

毒親は、

「いー加減気づけよ、愛情がないってよぉーと」さらなる毒を注入して気づかせようとしています。

 

愛情があるという呪いが、あなた毒親自身を苦しめているのです。

愛情がなくていいのです。

せめて自分に嘘をつかないこと、です。

2013年ぐらいの私の日記はまだブレブレ、親に会った後、即座に毒を注入されて具合が悪くなっているのにそれが毒親のせいだとまだ思おうとしなかった、それがこのブログに残されています。それが↓のブログ

 

rnonnon.hatenablog.com

 

最近時間をかけてやっと理解し始めました。ちなみに、無意識は意識より事実の認識が正確だと思います。

私の姉は3歳ぐらいでもう両親から愛されていないと認識をしていました。

親から愛されなかったという思いが、この世を危険なものにしやすいのであれば、少し考え方を変えると良い。親は完全に別の人間=他人である、と。

また、親や実家でこの心理的安全性が保たれない状態であるなら、社会の方がもっと危険なんだ、と思いやすく、自ら危険な場所を選び好戦的になり実際危険になってしまうのですが、実の生家よりも社会の方がよっぽど危険でないということを体験的に理解することが大事だと思います。それは十分可能です。

 

基本、親の毒を入れられた子供たちは、社会に対して毒を放つのではなく(安全でない危険な生き方をしがちです)、毒を親そのものに投げ返してやること、元に戻してやること、だと思います。ものすごい病的で本来、精神疾患になっているべき親、犯罪者として刑事罰を受けているはずの親(性虐待に関しては、監護者性交等罪、監護者わいせつ罪で刑事罰に処されることが2017年決まりました)、が精神科に通うことなく、その子供が通っているのは、親の毒を親自身ではなく、子供が受けてあげているからです。おかしいですよね?親に戻しませんか?その毒を。正当に社会に向けて、親の犯罪を暴露し、「お前、頭おかしいんだよ」と言ってあげるだけでいいのです。というか、それが正当ですよね。

 

毒は本来の場所に戻して差し上げましょう。本気ですよ。精神科行きになるまで。彼らこそが本来、治療されるべき人間なのです。なぜ我々なのですか?毒を戻してあげましょう。