弱さ
弱いことは百害あって一利なし。
弱さを気持ちの優しさと結び付けて肯定してはいけないのではないか。
ずっと自分の中の弱さをそうやって正当化してきた。
でももうやめよう。
なぜなら、弱さは、人を傷つけるから。
うちの両親は、弱さの固まり。
受かるといわれていた高校に落ちた。合格発表の日は登校日だったので親が合否をみにいった。そのときたまたまうちに来ていた祖母から私は合否をきいた。両親は二人でどこかへ遊びに行っていた。いわばうちの「ゲスト」に合否を言わせて、落ちた私のそばにいてやろうという気は全くなかった両親である。
こういうときこそ、子どものそばにいてやるのが親の務めではないか?
しかも、受験がとても大事な家だ。私は目に見えぬプレッシャーにおされていた。
だから親は子どもの結果がおもわしくなかったことに、悪い気持ちがして、私のことなど頭になかったのだろう。あるいは「気持ちが優しい」ために、面と向かって私に言うことが怖かったのだろう。
どれだけこのことに私が傷ついているか。
これが弱さの正体だ。
弱さは人を傷つけるだけに過ぎない。良い点など一つもない。
うつ病になった自分を「気持ちが優しいから」で許している。弱い優しさとはもうおさらばだ。