あえて厳しいことを考えてみました
あえて厳しいことを言いたいと思います
毒親で恨んだり苦しんだりしている場合
本当に本気で、毒親の弊害、そこから受ける害悪の影響を除去するために、
謙虚に努力を重ねてきたでしょうか?
私の知っている人に、食料品店のアルバイトで生計を立てている人がいます。その人は発達障害だそうです。自分でも何かおかしいと感じていた彼女は発達障害にピッタリ当てはまると書籍を読んで知った時、精神科に行き、そこでの対処法など聞いて、結果的には、1、2回で行かなくなったそうです。
なぜなら、発達障害のためにいわゆる”全く空気の読めない”彼女は、”空気を読む必要のある”接客の対応での困りごとを、100通り、ノートに書いて記憶し、それに対する対応を100通り、用意していたので、精神科で教わることが何もなかった、言ってることは大体わかるな(自分のことなら自分のほうがわかっているな)、とニーズを感じなかったからなのだそうです。
私たち、毒親育ちは、毒親に育てられたことによる悪影響に対する対処法を、
ノートに100通り書いて記憶し実践していると
果たして言えるでしょうか?
カウンセラーなしで、カウンセラーに聞いても大体自分のほうが自分のことわかってるな、と思えるほどになっているでしょうか?
それとも親への恨み言なら100通り、記憶しているのでしょうか?
これに対する反応は
「どうしてそんなことを”自分のほうが”しなければならないのか!?(親がすべきだ)」
ではないでしょうか。おそらくこんな調子だとカウンセリングに行っても、
毒親の悪影響を除去してくれないカウンセラーを悪者にして終わりそうです。
中には10通りの対処法を用意している、という人ならいるかもしれません
しかし
”空気の読めない”彼女が、100通りの”空気”を種別して記憶したように、
100通りだったならば、どうでしょうか
そんな人はこのブログには訪れないのかもしれません
なぜなら、他人の毒親話よりも、今の自分の中から毒親の影響を排除することに、100通りの対処法を導き出し試行錯誤し実践することに忙しすぎるからです。
自分のこと、にフォーカスしてみたいと思います。
あくまでも、自分のこと、です。
自分の体内に流れる毒には、自分が責任を持っているのです
自分が責任を持って解毒する、そういう宿命を持っているのです
それが謙虚であるということです
そしてもしその対応がうまくいったならば、
自然と感謝の気持ちが生まれてくることだろうと思います
そして視線の先にはおそらく”親”はいないのではないか
と思います
なぜなら先ほども書いたように
”自分のこと”で忙しすぎるからです。