うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

プライド感情と能力

私は自分で言うのもなんだが、プライドの高いところがある。
問題なのは、能力に比例してプライドが高いのではなく、さして能力が高くもないのにプライドだけ高いという、めんどくさい事態である。

プライドが高いことにも悩み、生き抜く力の弱いことにも悩んできた。

最も悩み深かったのが、この二つが自分の中で決して消えることのないものであると分かっていながら、この二つは両立しえないということだった。プライドの高さが消えないならそれに能力を合わせるため努力しなければならない、しかしその能力はそうそう上がるものではない。しかし相変わらずプライドが高くて困る、というものである。

そこでこの二つが両立してもいい方法がないか考えた。
このことをカウンセリングで話し合ったことはないが、カウンセリングで他の問題を取り扱う中で見えてきたことである。

プライドが高い(勝気)という一種の感情的特性・・・これは、あってもいいんじゃないか、肯定していいんじゃないか、ということ。まずは自分にはそういう傾向があるが、別にそれは悪いことではないと積極的に認めること。

対人能力や対処能力の低さ…プライドの高さと別の自分の特性と考えて、まずはこれを受け入れる。

うつ病の人は劣等感の裏返しでプライドが高くい人が多いという話をよくきくが、必ずしもそんなことはなくて、そのプライドには、そうなるだけの起源があるということである。小さい頃よくほめられた、でも、家柄が良い、でもなんでもよい。その起源があることは事実なのだから、まずはそのせいでプライドが高くなっている、と受け入れることだ。それは悪いことではないと繰り返すことだ。一般的には、そんな自分と関係のないプライドにしがみついているから病気がよくならないのだ、ということになるかもしれないが、当人からしたらそうそう簡単に、剥がせるプライドではないのだから、持っていたらよかろうと思う。むしろそのことを引け目に感じることもよくないのではないだろうか。

映画「英国王のスピーチでこんなやりとりがある。
英国王は吃音障害で今で言えば社会不安障害の一種でこれもプライドが高いと言われる病気だが、やはりある場面でプライドの高さをのぞかせるのである。
治療者が国王の椅子に座る、すると国王が激しく怒り出す。治療者が、ただの椅子だ、座って何が悪い、と突き返す。するとさらに怒る。なんで怒っているのかと言えばそれは「国王の椅子」であり、裏返せば、お前のような下民が座る場所ではない、という怒り、プライドなのである。
見方によってはなんと高慢な、そもそもお前は、国民の前でスピーチすらできない、国王の役割さえ果たしてないのにこんなときばかり何が国王の椅子だ、このプライド高いやつめ、というのが凡人の反応であるが、そのときその治療者はこういったのだ
「それだ!」
と。そう、あなたは国王なのだから、その役割を果たさねばならない、その役目を果たすために吃音を克服するのだと。
これには度胆を抜かれた。正直面食らった。自分はなんて杓子定規な考え方しかできなかったのだと思った。社会不安障害のプライドを低くするのではなく、逆にそれを肯定するこの姿勢。何もかも肯定できるこの治療者の姿勢。これこそが彼に吃音を克服させたのだ。

プライドが高いことは悪いことではない。そこに生きる力もみなぎっているに違いない。だからこれを積極的に認め受け入れ、その上で諸々生じる問題には対処していくのがよいのではないか。