うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

夢分析 心理療法一つの局面

カウンセリング(心理療法)を受けてから、前回は非常に大きな局面を迎えた。非常に興味深かったので、あったことを書き記しておきたい。大きな局面とは、初めて、私とカウンセラーとの間の関係性が面接場面でとりあげられたということである。

 きっかけは夢の報告であった。

 最近は、カウンセリングで夢分析のようなことを始めていて、ここのところ見た夢を記録して、それをカウンセラーに渡していた。ただ手渡しているだけで夢の内容についてカウンセリング内で吟味することは一度もなかった。だが今回は初めて、取り上げてみたい夢があり、「この夢を取り上げてみたい」と申し出た。その夢とは以下のようなものである。

<夢の内容>
 学生時代に親しくしていた男性の先輩(人望の厚い人で人が集まりやすく、現在は子どもが二人いる)とスーパーで会う。もうずっと長いこと会っていなかった。立ち話をするがどこか落ち着かない。子どもがいるようなので、自分がたまたま持っていた人形二体をその場でギフトラッピングして渡そうとする。スーパーは混んでいたので、女性客が「ここでやらなくてもいいのに」というようなことを言っていたと後で知る。

<夢を見て思ったこと>
 自分が周りを見る余裕がなく慌てて先輩に人形を渡すことだけを考えていた。先輩をどうしても引き止めたかったようだ。自分が相手にとって利益となるものを与えないと、自分の方にはつなぎとめておけないという気持ちがある。これは自分にとって問題となる対人関係パターンである。

(1)カウンセラーへの夢の提出の背後にあったもの

 まずカウンセラーから「どうしてこれを取り上げたいと思ったのですか」と訊ねられたので、「自分がよく陥る対人関係のよくないパターンだから」と答えた。
 だがそこでしばらく考え直して、直感的にこう感づいた。

「先生(カウンセラー)に夢を持ってきて提出しているからかもしれない」

 つまり、うつ病が回復してきて、カウンセラーがもう私に対してやることがない、退屈だと思うのではないかと不安になり、カウンセラーの心を自分の方へつなぎとめておくために、はっきりとなぜ夢分析をすることになったのか確認もせず、カウンセラーが専門とする夢分析を面接場面に持ちこむことで、カウンセラーの心を自分につなぎとめようと、夢の記録を提出するようになった、ということである。これをほとんど意識もせずに自動的にやっていたのである。

 無意識にそれに感づいていたから私はこれを夢に見たのだし、これを無意識に取り上げたい夢として、挙げたのではないか。

 カウンセラーからは「今後の方向性を考えるときに、夢分析が役に立つから、それで見ていこうという話になっていたと思うのですが」
 と言われたが、私にとっては「え?そうだったの???」っていうぐらい、そんな話になっていたことに全く思い至らなかった。私は、私自身の無意識を探索するために夢分析を導入しているんだと勝手に思い込んでいた。
 
 私が母の期待に応える娘で母を喜ばせることが自分の生きがいであったように、無意識を探索し夢分析を専門とする先生を喜ばせるために夢を記録して持ってきていたのである。根底には、先生の好きなものを与えなければ、私は放っておかれてしまうという不安があった。
 実は、本当は、夢について話すよりも、病院に行けるようになる前の壮絶な1年半の話をしたいと思っていて、それをカウンセラーにも伝えたのだが、一度少し話しただけで、すぐに「やっぱりその話はやめる」と撤回したという経緯があるのだ。なぜ撤回したかといえば、この話をしていていいのか分からなくなったからなのだが、なぜ「していいのか分からなくなったか」と言えば、、「先生はこの1年半の話をしているより、早く夢分析がしたいのだろう」というふうに思ってしまったからなのである。

 今回の夢に当てはめれば、急いで人形二体を渡した、というこの「急いで」というところに、この、「急いで」、つまり1回話しただけで、本当に自分がしたかった話をやめて、夢をカウンセラーに差し出したというところと当てはまる。

(2)個とのつながりを持とうとしていないこと

 そして、さらに問題がある。これはカウンセラーに言われたことだが。<なぜ子どもへのプレゼントであり、本人に渡す何かではないのか>という点である。

 私は直接人に想いを伝えることができないのだ。。。。否、直接人とつながりたいと思っていないのだ、ということである。だから間接的に(子ども)相手の利益となるものを与えたのである。

 じゃあ、カウンセラーとはどうなのか?直接つながりたいと思っていないのか?

 カウンセラーと本当の意味でつながるには、自分の気持ちを素直に伝えることが一番であることは間違いない。この場合であれば、自分は「発症後1年半の壮絶な体験をきいて、共感してもらいたい」ということを伝えることが、最も大切なことであるはずである。なのに、自分が納得もしていない夢の記録を渡して、いわばカウンセラーにとって利益となりそうなものを渡してつなぎとめようとした。
 
 カウンセラーと直接つながりたいと思っていないように思える証拠として、カウンセラーが実は「今後の方向性を決めるために夢分析をしようということになった」という話をきいても、正直「どっちでもいいや。理由なんてなんでもいいや。」と思ってしまったことが挙げられる。
 カウンセラーの気持ちを大事にしておれば、「今後の方向性を決めるために」夢分析を導入する、というその理由は重要なはずなのである。なのに、それが「どうでもよかった」ということは、結局、カウンセラー個人のことなどどうでもいいと思っていることの証拠なのである。

 私は、依存する相手とそれに対して期待に応える私、というある種の一体感の中で何かが行われるということに対して非常に興味があるのであって、その一体感から外れた個人、というものが抱える想いには関心がないということなのである。カウンセラーが無意識の探索のために夢分析を導入しようと思っていようが、今後の方向性を考えていくために夢分析を導入しようが私にはどうでもよく、ただ「夢分析を望むカウンセラーがいて、その期待に応える私」というものがありさえすえばそれで良かったのである。そしてそれが非常に居心地が良かったのである。

 そしてこれは、母の私に対する態度と非常に似ている。

 母は、頭の中で、「自分の期待に応えてくれる娘」、という世界を作っており、そこから外れた情報には一切無関心であるかほとんど意識から抜け落ちてしまっている人であった。私が何かできないことがあると、パニックになって騒いだり、本当は何かが人と違っていてもそれをねじまげて「個性」であると簡単に決め込み、いわば、問題を否認した。本当の意味で「私という人間」を見ていなかったのである。私の欠点や短所は、なかったことにされるか無視されるか、捻じ曲げられるかしていた。それがどうにも否認できない現実として迫ってくるとパニックになって私をののしった。

 私は、母から「私という個人」を見られていない、とどこかで感じながら生きてきたはずである。そして私がもし自分らしくできないことはできない人間であったなら、このように、自分の期待に応えていない娘というものを認識することが非常に難しい母であったから、期待に応えられなければ、こうやって、許容されないのだ、というほぼ確信に近い思いを抱いて生きてきたのである。

 期待をかける誰かとそれに応える私、そういう一体感というものなしに、私という人間が個人で人とのつながりを持つこと、意味ある関係を築くこと、にはずっと関心を持ってこなかったのだ。

(3)自分で決めることから逃げている事

 このような人間関係のパターンは特に自分が依存している相手との間で起こる。今回の場合「今後の方向性を私が決めていく際に」夢の分析が役に立つだろうということで、導入されていたのにもかかわらず、そのことがほとんど私の意識からは抜け落ちていた。おそらくは「自分で決めたくない」という心性が働いていたのだろうと思われる。それよりも、「私が、カウンセラーが専門としていることと同じように、無意識の探索をすることを、カウンセラーから勧められている」と考えていた。(書いてみるとすごい妄想だ)
 つまり、相手の期待通りに動くということはすなわち、自分で何かを選択しなくてよいのだから、自分で決めるということを避けているということになるのである。
 私はうつ病になり、今後の人生の選択にとても迷っていた。長い間ずっと何も決められずに来た。そしてどこかでカウンセラーが私の将来の方向性を、決めてくれるとは言わないまでも誘導してくれるのではないかと思っていたのである。
 だから、期待に応える私(=依存相手であるカウンセラーと同じ無意識の探索をする私)という方がクローズアップされ、「今後の方向性を自分で決めるために」夢分析をするということが、すっかり意識から抜け落ちていたのである。

 このカウンセリングの次の日、初めて、「自分を見せてしまった」と恥ずかしくなり、2週間に1回のカウンセリングで良かった、と心から思った。距離が置けるからである。これが私が人と直接触れることにどれだけ居心地の悪さを感じているかの表れである。
 しかししばらくして、どこか、カウンセラーと本当の意味で、個と個としてつながれたな、と思ったことも事実である。