うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

とても重要なこと<私の現実は悪くない>

私はネガティブなんだと気づいた。
うつ病だから、あえて言うまでもなくそうなんだろうけど、本当にそうなんだと気づいた。

何かにつけ文句や不満を言うのが好き

自分がクライことがコンプレックスだった。ネクラとかまじめとかさんざん言われてきた。(だがあんまり地味と言われたことはないな。。。。)

でもそれは「本当のこと」だったんだ、と気づいた。つまり本当に、物事を現実よりも悪く捉える、悪く考える、だから暗いのだ、と。

まじめすぎたせいか、真逆の男がよくやってきて、自分も引きつけられた。不良とまじめのよくあるパターン。なんで私みたいなまじめすぎる女の子にふまじめな男がやってくるのか全然分からなかった。彼らは不良女子と遊んでいればいいのにと思っていた。

私は彼らとは違うと思っていたのに、なぜか引きつけられた。なぜだと考えて気づいたのは、実は同じ部分を抱えていた、ということだ。

悪い男・悪い人の特徴って何だろう。

それは、人をだます、ごまかす、嘘をつく、利用する、人を操作する、ルールを破る

それを堂々とやる人間のことをいう。

これが表しているのはなんだろう。堂々としているようで実は、正々堂々としていない、つまり、現実を見ない人間である、ということだ。

確かに表面的には私はこういうことはしない。

だが深層心理はどうだろう。

現実を見ない、という特徴は似ているのではないか。

私にも、人を無意識に操作したり、ごまかしたり、現実をなかったことにしたりする傾向がある。人が見ていなければいいやと思う傾向もある。表面だけ綺麗にととのえれば、中身はなくてもいいやと思う傾向がある。

こういった現実を見ない傾向は何につながるかと言えば、「失敗の原因を他人のせいにする」という傾向である。

悪い人たちの代表例が「暴力団」と言われる人たち。

彼らは一見強そうに見える。だが、「失敗の原因を他人のせいにする」集団である。彼らは徒党を組んで、自らが社会でうまくやれない理由を他人のせいにしている。つまり自分たちの存在そのものを「悪い社会のせい」だから仕方がない、としている集団である。

私が悪い男にひかれた理由は、本心では自分も「現実を誤摩化したい」と思っていたからなのだ。こんなに堂々と現実から目をそらすことができるという点に、深層心理ではどこかうらやましさを感じたのだ。悪い男たちがよってきて私に結果的には悪いことをしたり、一緒に悪いことをさせたりしたのは、「そんなにまじめに生きていたって、本当は俺たちと同じだろ?ひきずりおろしてやるよ、自分のところまで」と言いたかったのだろう。(ちなみに夫は全く違う人間)

本当に強い人間にはこういう人は多分寄ってこない。

まさにおとぎ話にありがちな、自分の中の悪魔と戦う天使の構図が見えるようだが、要は悪魔がやってきて囁いた、ということだ。

こういう悪い人間は、現実から目をそらし堂々と「失敗は他人のせい」にする。この問題点は、次第に、それが自己の無能感、対処不能感へとつながっていくということである。なぜなら、失敗が全て他人のせいなのであれば、そこに自分がコントロールできることは何もないからである。

コントロールできることが何一つない(なぜなら自分のせいではないから)ということになれば、当然希望を失う=おちこみ、抑うつ、である

これが、私がうつ病に陥ったと思える一つの原因。

そしてさらに、私が気づいたのは、私の現実は「目を背けなければならないほど悪い現実ではない」、ということだ。

小さい頃からちゃんと家族がいて、うつ病になっても決して逃げない夫がいる。家族はみな今でも元気である。そこかへいなくなってしまったり、消息不明の時期があったなんてこともない。

私が能動的に働きかけさえすれば、たいていの人は、喜んで誘いを受けてくれる。
最近、昔、楽しい思い出を共有した仲間と再結集したけれど、私が来たことをみんな基本的には喜んでくれた。しかもものすごく楽しかった。
最近はいろんな人を誘って会ったりしているが、丁寧に接触さえすれば全ての人が受け入れてくれる。これってすごいことなんだ。

私は、警戒心は強いが、基本的にどこでも丁寧に時間をかけさえすれば「場になじむ」ことができる。それは基本的に人を信頼しているからだし、それを周囲の人もかぎとっているからだ。

世の中には、このように社会との関係性において、人に対する根本的な信頼感を持てていない人たちもたくさんいる。そのような人たちは人に対する根本的な信頼感を持てていないが故に、必死で対人能力を磨いていることも少なくない。私のように対人能力に劣っていても平気で人前に出られるのは、人に対する絶対の信頼があるからだ、という考え方もある(それと人に対する警戒心は別である)人を信頼していれば対人能力をそこまで磨く必要がないということは誰でも分かるだろう。

だから私の現実はそんなに悪くない

うつ病の原因も完全に親のせいにしていた。

でも親が抱えていた現実にそんなに期待してはならない。彼らの現実にも限界というものはあるのだ。

それよりは過去、うつ病を防ぐことができたのではないかと思われる、自分の中にある原因を現実的に探すことの方が重要だ。なぜならそれが一つでも二つでも見つかれば、今度はそれを変えることができる。行動を変えることで現実が少しでも変われば、自分の無能感が減り、自分の対処可能感が減り、よって「希望」がもてるようになる。

この希望が持てる、というのはとても大切な要素である。

なぜなら希望が持てない状態こそが、うつ病だからである。

現実を直視せず空想に走ったり逆にネガティブに考えすぎたりすれば、それが自分の現実に対する対処不能感につながり、ひいては、希望のなさにつながる、ということである。

私の現実はそんなに悪くないし、その中で自分が働きかければ変わることが思った以上にたくさんある。すぐには結論はでないかもしれないのだけれど。

こういうことを教えてくれたのは、昨年の一年間で、極端に悪い男性ととてもポジティブに正々堂々と山の頂上を目指す女性だ。

ものすごく自分の中の正義と悪(弱さ)が戦った一年だったんだと思う。

まだ身体症状も不安の症状もある。それで気持ちはかなり弱くなるときもある。まだ完全ではないことがもどかしいからだ。

空想の中を生きたり(極端に良い状況ばかりを願う)、極端にネガティブな中を生きたりするより、現実の中を生きる方が、どこか生き生きとする。刺激はないのかもしれないが、確かにこの世で生きている感覚というものを味わうことができる。うつ病になったことを全て他人のせいにするより、自分がコントロールできることでうつ病になることを防げることがなかっただろうかと考えることの方が、希望がもてるのである。