うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

認知行動療法とユング派・精神分析的心理療法とどちらが有効?

タイトル通りの話題だが。

結論から言うと、どちらも必要だし、どちらも良い心理療法なら、必要な要素は取り入れている。

本当は同時並行はいけないのかもしれないけれど、私は無意識を重視し内面の変化を目指す心理療法認知行動療法を両方取り入れている。

内面の変化を目指す心理療法は、症状への直接的な対処は基本的に不得意である。いってみれば、具合の悪いときは「放置」される。悪くいえば。内面の変化が起こればそのうち気にならなくなったり改善したりするから、その間は「忍耐せよ」というスタンスである。
不得意というか、症状に対処するという方針は理論的に拮抗するのだと思う。症状に意味を見出す心理療法だから。それより内面でのワークの進行を手助けするという感じが強い。
だからといって、完全に無意識の世界でのワークをしているだけかといえばそんなことは全然なくて、たとえば夢から、対人関係のあり方が見えたりすることもあり、そこから日常生活の人間関係のやり方に新しいやり方を導入したりすることもあるので、そんなところは認知行動療法っぽいなと感じるときもある。
症状を放置するという問題に関しては、問題点もたくさんある。なぜなら、そもそもいろいろなことのスキルが獲得されていない人は、内面の変化がいくら起こっても日常生活に戻れないからである。

認知行動療法は直接的に症状に介入する。症状が起こっているときの、認知のクセ、行動のクセ、身体反応への多様な対処スキルの獲得、問題状況の除去や解決、周囲の人からサポートの求め方、等を学び習得する。例えば私の場合、症状が生じているときに、仮に対処するためのリラクゼーションを始めても、数分で「こんなにやっているのによくならないのだから、私はおかしいんだ」と考えて、途中でやめてしまうというクセがあった。そのせいで、私は不安に対処できないという認知を強めてよけいに不安を増大させていた。そこから、まず、すぐによくならないからといって、私がおかしいわけではない、そもそもリラクゼーションにはそれなりの時間行うことが必要であるという専門的知識を得て、一定期間を続けるというふうに行動を変化させた。これによって、不安症状に対処できるという認知を少しずつ持つことができるようになった。

だが、症状がひどすぎるときには太刀打ちできないこともたくさんある。底上げが必要である。それには薬物療法が必須であるし、体力の回復、運動、睡眠、といった基本的生活習慣の改善が重要である。特に体力は精神力をカバーするので、体力の回復は認知行動療法を進めていく上でも非常に重要な要素となる。血流の状態をよくすることも重要である。
認知行動療法は、それをやってよくなりたいという、症状をよくすれば、良い人生がその後待っているかもしれないと思えている状態から始めないとうまくはいかないという印象がある。
私の場合はいろいろな世界に踏み出してそれを見ている間に、希望が持てるようになった。その間は認知行動療法をやっても多分意味がなかったろうと思う。
そしてこのように内面の変化が起こってから、認知行動療法は役に立つ。内面の変化を促すのは、やはりユング派・精神分析的な心理療法ではないかと思う。