うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

父親

父親。

私にとっての、最大の問題

父は愛情欠乏の上に、卑怯ときている

つまり、偽っている

不気味な感じがする

似ている愛情欠乏の人でも

父のように父自身でそれを偽っている人に対し

偽っていない人がいる

だいたいカウンセラーとか世界を救う系の活動している人にいる

そういう人は自分の中にある愛情欠乏に対し、

自覚的である

そしてそれを自分自身に対して偽ろうとはしていない

他方、父は自分自身を偽っている

父は死を怖がってる、とのこと。

今75歳だが、健康で体に何の異常もない

父くらいの歳になれば

おおよそ自分が愛情をかけた対象との思い出に生きたり

もしくは未だ愛情をかけている対象のことをいつまでも心配する

だがそういうものが

父にはない

だから、死というものがおもむろに顔を出すんだろう

考えることがそれしかない、という状態なのだろう

言ってみれば

他に心配すべきことが何もない

とも言える

神様は本当に人の人生をよく作っているものだ

父には愛情というものがない

全くない

恐らくそれは普通の人が全く想像のつかないレベルで欠乏している

ある意味では大変な欠陥人間であろう

でもそれを欺瞞という形で、巧妙に隠して生きてきた

そして愛情がないがゆえ、罪悪感もほとんどなく、葛藤もなく、子どもへの期待も落胆もない、心配もない。

愛情がない人の場合、人生の選択の基準をどこに作ったらいいかわからなくなる

それで父は世間体を最も大事にした。世間体が最も大事とほとんど教わって私は育った。

隠せればいい、ごまかすことができさえすればいい、世間に。

世間体を基準として生きた結果、父は外側だけ見ると非常に綺麗で真っ当な

人生を生きた

日本の最高学府を卒業し、一流企業に入り、総務部の部長にまで昇進した。

だが部下の面倒を見たり、そういうことは一切なかったようだ

友達が家に来たことも、同僚や部下の話が出たこともない

だがそんな外側だけ綺麗に取り繕った人生に

神様は最後の最後黙ってはいないのだろう

いつも世間体をよくするための目標を掲げ

それを基準にして生きてくることしかできなかった父。

自分がいかに自分として生きてきたかを問われるこの集大成の時期において、

彼は基準というものを失い

そしてこれまでと同様に、ただ目の前の目標を見ることしかできない

世間体という意味での目標をもはや設置することのできなくなった彼は

自分の先にある、「死」を意識することしかできない

しかもその死とは

避けることができない絶対的な身体的苦痛として現れているのだろう

それは右を見ても左を見ても、もはやどこにも余白のない、避けようのない、必ずやってくる死の苦痛である

父が未だピンピンしているにも関わらず、

そこまでして死を怯えるのは、もはや彼が何者も愛してこなかった証拠に見えてならない

死の直前になって、余命宣告を受けてからとか

その段階で死に際しての身体的苦痛を怖がるならわかる

何も問題のない今から怯えている

表面的に綺麗に人生を進め過ぎたのだ

そのように進めることができた理由もまた分かりやすい

愛情がないために葛藤がないのだ

だから普通の人のように人生が揺れ動かない

後悔も反省も罪悪感もなければ

そんな表面がつるっとした人生になる

だから世間で言うところの真っ当な人生のステージを、少しもずれることなく、綺麗に生きている

だから老後にはきちんと老後がやってきた

まだ働かなければならないということがない

お金の心配もない

誰かのためにお金を使うということが、全くなかったからだ

そうやって自分も世間もごまかして生きてきた人に

神様が最後に食らわせるのはあろうことか

死の身体的苦痛への怯えだ

死というものは非常にスピリチュアルなものであり、

今まで通り自分をごまかそうとしても、もはやその現実はごまかしきれない

何もかもごまかしてきた人には、

つまり愛情がないことを自分自身にごまかして生きてきた人が

もはや誤魔化そうとしても誤魔化せない唯一のものだ

誤魔化せなければ誤魔化せないほど

ますますそれが直面してくる

死というものには100%直面したらダメだ

これは直面してはならぬ類のものだ

それをごまかせる一つの方法は

愛情だ

他者への愛情がそれを誤魔化してくれる

天国に先に逝った友人がいる、先に逝った妻、

だから自分も天国へ行って彼らに会うんだ、とかね

こうやって死そのものへのダイレクトな直面を免れる

そこには愛情というものがある

愛情があるから天国を想定できる

でもそういうものが全くない

愛情がないから、愛する誰かを失う怖さがないから、天国を想定する必要がない

となれば、死に直面するしかなくなる

しかも最も表面的な、身体的苦痛という意味において。

私が父親から性的虐待を受けていたことは前の記事で書いた

くたばれ

苦しめ

最後の最後

右を見ても左を見ても死しか見えないその中で

死の身体的苦痛の恐怖にのみ囲まれて苦しめ

じっと見続けてやる

じっと見届けてやる