うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

魂の一段深いところで

今日はおもしろい夢を見た。
病気とは全然関係もないし、何の脈絡もない夢だ。
そのせいでかは分からないが、何か開けた気がした。
 
開けたって病気は病気。だからすぐ良くなるということじゃない。けど何か感じたような気がした。もちろん、また、いつもの訳の分からない闇の世界にひきずりこまれるのもわかっているのだけれど。
 
病気のせいで損をしても、もともと損しないために生きてるわけじゃないから、それは損でもなんでもない。
父親。ちゃんと話す相手。ぶつかる相手。
母親。弱い人。小動物。でも大切な人。大事な人。
母親は弱いから大切なことは父に話したほうがいい。今までは何でも母親に相談して、父は自分の近くにはいなかった。でも、そう思えた。そして、本当のこと言って助けてもらえる二人。
前の仕事。普通の社会であった、競争社会であった、ということかもしれない。恨んだりはしない。私が悪かったとかそういうことでもない。
病気。今までの生き方のせいかもしれないが、私の存在が悪いわけではない。症状は続く。うまく付き合う、治していく。それも私のせいじゃない。対処すべき現実。病気になったことに対して謙虚になる。
外の人間関係。うまくやろうとする相手ではない。自分よりはるかに大きいもの。未知のもの。これから教わるもの。全て知っている上で付き合う相手ではない。それは私の知識をはるかに超えるもの。
自分が弱く無力で無能であること。そのこと自体を深いレベルで尊び、謙虚になる。世界はぶつかってくる。当然である。そのことを謙虚に受け止める。助けてもらう。助けてもらうがそれが当たり前ではない。一人で何とかするべき?そんなの初めから考えられない。無能とは一人でやれないことを言うのだから。一人でやりたがっているのは、一人でやれる自分というものに酔っているだけ。
今日具合が悪いかどうか。具合は悪い。今日どう行動しようが具合は悪い。はっきり言ってどっちだっていい。苦しいことから逃れたい。当然だ。逃れたいに決まっている。だから逃れるための何かをしていいのではないか?だが、それで逃れられたからと言って何か変わったわけではない。
これからどう生きていくのかに対し。経済的なこと、外で働くこと。夫。まずは病気を治すことだ。どこまで治るのか分からないがそれが至上命題だ。夫はお金を運んでくるのが当然の人ではない。一緒にともに困難に立ち向かっていく相手だ。それが全体として他の人より上か下かなんて全く関係がない。縁があって一緒になったのだから、そういう運命なのだ。一緒に生きよ、という運命なのだ。一緒に立ち向かうのだ。頼りきりになるのではない。もっと相手を大切にしよう。相手がまずあって、その後で生活のこまごまとしたことがあるのだ。つらいねといいながら今の苦境を乗り切るということが至上命題なのだ。我々に与えられた試練なのだ。しかしよく考えたら試練と言うほどでもなかろう。暖かい部屋の中でご飯食べられるわけだから。
親の価値観:両親が背負っているもの。大切な両親が持つ価値観。だから大切なものかもしれない。でも自分はそれにそえないんだよね~と思っていればいい。逃れられるものではないことは確かだ。
友達。やはり尊ぶべき自分より大きなもの。自分の知らないもの。自分が教わるもの。学ぶもの。
無能な職業人としての自分。相手を自分の理解できない尊いものと見る。そうしてもし許されるのであれば、自分ができることをやらせてもらう。役に立たずに首になったら、それが現実ということだ。
得するために、あるいは損しないために生きているわけではないことを肝に銘じたい。
神経質で無力で無能な自分が、この尊く威圧的な世界でどう生きていくのかを考える。特に高い志もない、忍耐力もない、自分で自分のことをまかなうことさえ危うい自分が、どう生きていくのか。精神力を強くすることはできるのか。できないならばどうするのか。
今日もご飯の用意のために動くことができないかも。当たり前だ。病気だから。そして動けたからと言ってそこで何かが劇的に変わるわけではない。ただやれるからやる。やれないからやらない。形にはこだわらない。もっと長期的な視野でこの病気を治すことを考えよう。人生を自分の思う方向に引っ張ろうとしてはダメ(とレイコさんが言っていた)。人生は、そういう対象ではない。もっと深いところで理解をしろ。表面的な言葉のレベルではなく、もっと魂の奥深いところで理解をしよう。今までより一段下のところで理解をしよう。腹の奥のところで理解をしよう。
誰かのせい、誰かが私を助けてしかるべき。そういう気でいつもいないか?もっと奥深いところで理解をすれば、自分の存在意義はもっと尊いものになるし、自分の運命は、さまざまな事象の折り重なりあいで生まれているということを理解できるだろう。決められていない。決まってはいない。そもそもそういう類のものではない。
病気で苦しみ何年も地獄をさまよっている人。どこかでそういうことが必要だから、そういうことが行われている。哀れむな。簡単に知ったような見方をするな。世界を全部知っているような顔をするな。知らない事だらけだ。何も知らない。彼らの存在を尊べ。私の理解できないところで起こっている何かだと謙虚になれ。
これらのことを奥深いところで理解したところで、そこで初めて人生の困難が待ち受ける。無能さに変化はないのだから。それが私の人生で与えられた課題。