うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

一億総PTSD状態

 投稿、一ヶ月ぶりですね。
 今回の大震災。何百年に一度の地震津波とか言われても、あまりピンと来ていない。私たちが今それをリアルタイムで経験しているのだということが、実感としてわかない。後で歴史の教科書に載るんだろうけど、多分それを読んだとしても、別の出来事みたいに見えるんじゃないかな?それは、個人はこの震災を、それぞれ別のところで体験しているはずだから。(村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』を読むことをお勧めする)でも、確かに別のことだけど、共通した何かがあるのも事実。我々はそれぞれ意識の上では別のことを体験していて、無意識では同じ何かを、この震災で共有している。
 
 私は幸いにも被災者ではなかった。でも日々、繰り返し、地震津波の被害を受けた地域の惨状が、映像に映し出されているのを見ていて、あるいは、幸運にも助かることのできた彼らが、ほっとしたのも束の間、現実を見ることができるようになり、続いて、「あのとき、津波でみんなと一緒に流されてしまえば良かった」と思うようになるであろう(今もう既にそう心理状態かもしれないけど)というような状況を(復興までのストレスは長期にわたる)、外から見ていると、これって私自身が体験したことと同じだ、つまり果てしない喪失なんだ、と思う。
 
 もちろん、外から見ている人間が、何も喪失感みたいなものを感じていないかといえばそうではない。我々、というのは我々日本人のことだが、我々だって失っているのだ。それは「安全な国」というものだ。私たちは戦後60年以上もずっと、国内で民族間の攻防に巻き込まれるということもなく、戦争に出向いていかなければならない事態もなく、外国から攻撃を受ける不安もなく、生きてきた。心の中に「安全な国」という意識を築き上げ、受け継いできたはずだ。
 
 だが、今はどうだ?日本列島が常に揺れていて、停電やら買占めやら、放射能への不安にさらされている。「どこにいても安心できないし、逃げることもできない」そういう状態に陥ってしまった。一種の一億総PTSD状態だ。
 
 いつも、不安、常に不安。世の中が、今いる全体が、大丈夫ではない場所であり、安定していないという状態。
 
 そしてこれは、私がこの一年半、病気と闘っている間にすっと抱えてきた不安と同質のものである。 
 
 私の病気とこの地震が起こったことが無縁とは思えない。科学的には共通点はもちろんない。だが、『何か』、が起こっているのだ。そう思えてならない。首相が一年毎に変わる状況も、長引く不況で大企業や公務員でさえ、安全を保障されていない時代。「破壊と再生」などという言葉が浮かぶ。
 
 この地震は、日本という国が既存の価値観を破壊し、再生していく上での端緒となる気がする。
 
 被災された方、この震災にて命を失われた方々、家族を失われた方、に対して「今私が何ができるか」
それは、私自身がこの病気から、必ず回復すること。月並みだが最後まで決してあきらめず、破壊されたものを失ったものを再生へと導いていくこと、その役割を担わされていると肝に銘じて、生きていくことだと思います。 
 
 東北関東大震災の被災者の方々、また、この震災にて亡くなられた方々に、心よりお悔やみ申し上げます。