うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

被災者の心理

 被災者が「早く復興したいのにできない」と落ち込んだり焦ったり不安になったりしている間はまだ、いいんだよね。本当の試練のときというのは、「復興しなくていい、したくない」って思い始めるときなんだよね。
 今は目の前のことに精一杯。「生きる」ってことが危なくなってるときだから。失ったものに目を向けている暇はない。支援も来る。日本中が注目してる。でも、ちょっと落ち着いて、現実を見渡せるようになると、つまり、1年後とか2年後、それがもう一つの試練。そういうときはちょうど、非被災者が彼らのことを忘れ始めるときでもある。テレビなどマスコミも報道しなくなる。
 
 仮設住宅ができて、とりあえず暮らせるようにはなって。でも何をしたらいいかわからなくて気持ちもまだ落ち込んだままで、さてどうしようって先が見えない。海と共に生活をしてきた人、観光業を生業にしてきた人、家族のために生きてきた人、そういう人が、ふっと一息ついて、周りを見て、現実を知る。海もない、家族もいないんだと。「立ち直って何になるの?その先に何かあるの?どんな希望があるの?」
 
 私たちは、彼らを忘れてはいけない。彼らの苦しみが、ずっと続くことを忘れてはいけない。今は今の大変さがある。でも今を乗り越えたらまた別の困難が彼らを襲う。
 
 こういう気持ちは私自身が病気になって知ったことだ。「治らなかったらどうしよう」ではなく、「治らなくていい、治りたくない」という気持ちが、最大の心の闇であることを。でも私は少なくともその状況から今は脱却している。今は「治るか治らないかではなく、治るよう精一杯努力しよう」という気持ちになれている。それは家族のおかげである。つまり、周りの人の力である。自分ひとりでは、その気持ちから立ち直ることはできなかったと思う。
 
 つまり、このような心の闇からは脱却することが可能だ。でも一人だったら難しい。周囲の人の力が必要なのである。微力でもその人のためにコストをかけられる愛の力が。そうすれば、必ず一人で立ちあがろうという気持ちが出てくる。でもそうでなければ、、、非常に危ない状況になる。・・・自殺者を出してはならない。くいとめなければならない。
 
 彼らのために私ができること。それは自分自身がこの病気から治ることだ。例え一度希望を失ってもそこから立ち直れるという証拠を作ることだ。そう思っている。