価値観の変化
胸部のざわつきは明らかに減少してきている。毎秒ずっとじんじんしていた、というのがなくなっている。ちょっと何か手持無沙汰になった時にざわざわするという感じだ。
テレビのニュースも平気で見られるようになったし、世の中を悲観もしなくなった。クライムサスペンスなども楽しんで観ることができる。
落ち込み・不安・焦りは、もちろん病気に対して持っているが、それでも、もう病気になってしまったし、あんなに大変な思いしたんだから、今さら、「うまいこと生きたい」なんてのもないだろう、って思えている。「うまいこと生きられなかったらどうしよう」というのが、昔からずっとあったんだろうけど。つまり、うまいことってのは、イコール、幸せとか、イコール、楽とか、イコール勝ち組とか。
でも、もうそれらすべてを失い、自分ではどん底どころか地獄と認定できる体験を2年半前~1年前までしているから、(正直、死後の地獄があるとしたらこんな感じなんだろうなというぐらいの)、今さら「うまいこと生きたい」もないでしょうっていう。
だってそれができなかったっていう証明ができたわけだから。もう自分は一生幸せ一生楽しくて輝く人生の人ではない。何を今さら、という感じがして、あきらめがついたんだと思う。これは良い価値観の変化で、多分これからは、ふりかかってくる人生をそのままに受け入れて生きていくんだと思う。そして以前よりもっと自分自身の内面を大事にしていきていくんだろうと思う。自分の内面が欲することに忠実に。
この2,3年でも、たったこれだけの年月でも言えることは、
You cannot predict the future ever.
っていうこと。だからあんまりきっちり人生計画立てるのはやめた。将来に対する想像力は働かせるよ。でも、やっぱり村上春樹のいうことはただしい。
「好きなことを決めて、それにしたがって人生を決めるのではなく、人生の自然な流れの中で、自然に好きなことを見つけてやっていくのがいいと、僕は思います」
病気になる前はこういう考え方絶対に受け入れられなかった。自分は前者が正しいと思っていた。だから、その意味が分からなかった。けど、今は、はっきり言える。この言葉は正しい。
この2年半前、私は何が分かっていたか?
私は、自分がこの地獄を味わうとは知らなかった。
発症後、私は自分がこの病気を克服できるとは思わなかった。(自殺すると思っていた)
病院に通うことなど絶対にできないと思っていた。そんな自分を受け入れられないと思っていた。
それがきっかけで病院に行けるようになるという事態も知らなかった。
今やっている習い事を始めることを知らなかった。
たったこれだけの年数のこと、何一つ、予測できていないのだ。
すべての人が、そうなのだ。