うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

以前との症状比較

<以前との比較>
 プレッシャーのかかることに踏み出せるようになってきた。苦手な医者のいる苦手な病院(メンタルとは別)に、さっと行って、用事を済ませてくるとか。必要なことはきちんとコミュニケーションとれた。今までこのような人間関係の緊張がかかる場面は一切避けてきた。その後でひどく症状が出てしまうためだ。だが最近では、発症後、あえて避けてきたこのような場面に、少し踏み出せるようになってきたか。だが、こういった緊張が連続して何時間もあるとか、毎日あるとかだと、まだまだダメだろう。
 
 思考力を使う雑用も(買い物に行く段取りを考えて実行とか)、できるときにはできるようになった。これは2013年に入ってから。

 テレビを自然に楽しめるようになってきた。好きな番組を楽しみに待つようになった。
 目覚ましをかけられるようになった(かけて目が覚めてしまってその後の一日具合が悪くなるのを恐れていたからできなかった。今は睡眠が中断されてもまあそこまで悪くはならないと思える)。
 
<今の症状>
 今一番気になる症状としては、倦怠感や億劫感の症状が出て、本当に何もしたくない、という日がまだまだたくさんあることだ。家事でも片付けでもやらなければならないと考えてしまいがちで、とりかかれないのでまた落ち込むという悪循環である。そういうときは、周りの人から「やるべきなのにと思われている」という思い込みが強い。実際、周りの人は具合が悪いんだな、としか思っていない。周りの人とは夫やそのほか想像上の他者、である。「あの人はダメな人」と自分に言ってくる人が心の中にいる(幻聴とか妄想ではない)。誰でも被害的になっているときはそういうものだが、そういうとき、自分で自分を責める心があるのか、被害的になっていてこれがつらい。だが、本当にひどかったときと比べればこのくらいなんてことはないのだからとにかく、早く寝てしまうことだと思っている。横になっていると楽だし、やらなければならないこと、を考えずに済む。

 毎日こんなことでいいのか、と思ってしまいがちだが、毎日こんなんなのである、まだ。これがなかったらそれはもう完全に良くなっている状態、ということなのだから。

 少し何かができると途端に嬉しくなってしまって、バラ色の明るい未来を引っ張り込んで、取りそろえようとしてしまう。カウンセラーの「少しできることがでてきた状態」との言葉が重くのしかかる。実際そうなのだろう。辛抱、忍耐だ。