うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

心理的テーマを乗り越えること

うつ病になってからの対処法は、極力ストレス源を減らして、休養と正しい生活習慣(食生活、適度な運動、生活リズム)、それに日々の快適さや楽しさを十分に味わって生きるという、いわば生活の基本を守りながら時間が経過するのを待つしかない。

 だが同時に、心の中に溜まっている未解決の問題にも手をつけることが自然に必要になってくる。
 これは、そのような心にたまっているストレス源を減らすことで病気の回復に役立てるという意味があるだけでなく、これを機会に人間的成長を遂げるという結果をもたらす。

 ちなみに私が病気になってから、克服したり、着手しているテーマは以下の問題である。これらが克服できなかった背景にさまざまな心理的要因が絡んでいる。そしてその心理的要因は、病気を引き起こした原因でもある。

①夕食準備(献立を決める・買い物・作る)
②親からの精神的自立
③(引っ越すつもりでずっといたが)今の場所を生活拠点としてあきらめること
④仕事に関するあるテーマ
⑤精神科に通うこと
うつ病を治すということ

まだあるかな。思いつくのはこのくらいか。

 夕食準備に関しては、形にこだわっていた母親(栄養を考えて毎日30品目用意するという人である)の影響から離れて、形にこだわらずに欲求にしたがって夕食を準備するということを、さまざまな経緯を経て身につけるようになった。もし夕食の準備ができるほどのエネルギーがあったならば、私は結局、母の価値観に縛られ、同じように作っていたように思う。どこか不自由さを感じながら。しかし、病気になることにより、母と同じように作ることが現実的に困難なものとなった(30品目を考え用意するエネルギーがないため)。そのため、その価値観と対峙しなければならなくなった。母と同じようにやろうと思い挫折し、またこりずにその通りにやろうとして苦しみ、そこへ友人の夕食の用意の仕方の価値観(食べたい欲求にまかせて献立を考える。栄養などはあまり考えない)や海外旅行での海外での食生活を体験したことを経て、「母親と同じようにしなければならない」という価値観から離れ、プレッシャーを感じなくなった。
 これにより、結果的に、母親とは別の価値基準、―これは何も、料理だけの問題だけではないのだ、形に縛られず、自分のやりたいように生きるという、そういう生き方を、知ることになった。そしてこれはもし私がうつ病になって現実的に母と同じようにやることが困難、という状況に陥らなければ成し得なかったことなのである。これは、母娘にありがちな、母が娘を自分の価値観で無意識に縛ることで共依存関係を維持しようとするという、その呪縛から、解き放たれるための重要なテーマであった。これは②の親からの精神的自立とも関連することである。

 うつ病のときには、考え方が悲観的になるが、悲観的に考える時期、というものがあることは決して悪いことではない。むしろ必要不可欠なプロセスですらある。私は「母親と同じようにできない自分」を徹底的に否定し苦しみぬいた過程があったからこそ、「母親の基準ははたして正しいのか?」と疑問に思う段階が生まれたのである。そして他人の力を借りて、行動してみて乗り越えていったのだ。
 
 うつ病のときには、このよういにいくつもの未解決心理的テーマを抱えている。時には、これを徹底的に考えて考えて苦しみ抜くことも必要だ。悲観的になる時期を過ぎたあとは、今度こそ、本気で自分の考えていることを順序立てて突き詰めて考えてみることだ。それは本当だろうか?ではこの場合はどうだろう?といったように。それと同時に行動して失敗してもがくことも大事だ。