元の家族のように
ずっと反抗期みたいだったけど、
そして何度言ってもどうせ分からないんだよな、と、元に戻るのはしゃくに触る感じがしたけど、
それを言っていたら結局自分の負けなのだ。
それよりも大切なことが、たとえ自分のことを理解してくれていないとしても大切なことがある。
母の気持ちに想像力を働かせてみた。
自分は家族、子どもなしでは、生きている意味などないと、そのために生きてきたはずだと、何をするのもそれがベースにあったと思ったはずだろう。
もし自分の一番近いと思っていた子どもから拒絶されたら、と思っている母を想像すると、身体が左右にひきちぎられる思いだろうと思った。
私の「理解してくれない」「相変わらずひどいことを言う」
というような思い、これを優先せんがために、親にこのような身も引きちぎられる思いをさせるのか、と考え抜いた。
悔しいけど、何度、今後もとんちんかんな傷つくことを言われようと、乗り越えるしかない、と思った。これは許す、ということだ。
それで、親に会うことにした。向こうは私のことばかり考えていると言いながら、私におびえて、というか否定されることが怖くて決して自分から電話することもできない両親なのだが、そこで意地の張り合いをしていてもしょうがない、何が大事なのかということを考えて、自分から動くことにした。
いきなりは元のように戻らないから、夫と姉に相談して、協力してもらった。気持ち的にも実際にも。
それで家族全員勢ぞろいして、食事をとった。両親は本当に喜んでいるようだった。
そしてこれからも頻繁に一人でも帰ろうと思った。
姉に頼んで、家族旅行を計画してもらった。前はやっていたことだ。
自然に、キッチンに立って、母の手伝いをしていた。これまでずっと母だけがやってきたのだ。それはおかしい、公正に考えて、と思った。病前と全然変わったと思う。
両親もあたたかく迎えてくれた。
最後、かなり疲れてしまった。以前なら「怠け者」と言われる恐れから、正直に言えなかった。でも「疲れた」と正直に言えた。これも病前と変わったことだ。父が駅まで送ってくれた。
病気が本当の反抗期だったんだよ、私、成長したんだよ、と今度会った時には言いたい。