うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

一卵性母娘

両親を含め旅行に行った。

行ってよかった。

自分の心が、正常に母から離れていると感じた。

今まで、ずっと心と心が、ベトちゃんとドクちゃんのかつての身体のように、くっついていたのだ。そして一方から一方の栄養分を受け取って生きていたのだ。それは、ベトちゃんとドクちゃんの身体を切り離せば血をだらだらと流して死んでしまうように、どちらかが離れれば一方が死んでしまうという、心が死んでしまう=文字通り死んでしまう、ということになりかねないので、非常に危険な状態でもあったのだ。それが分かっていたから、互いに文句を言い合ってもまるで磁石のように、引き寄せあってしまっていた。

いわゆる、一卵性母子といわれる未分化な状態である。

だが、今は、母は自分とは別の人なんだ、と分かっている。孤独な時、どうすればいいかについて考えるとき、母の意向をくまなくてもいいことが分かっている。母の意向をくまないことで、仮に相手が怒ったとしても(未分化な状態の二人って、相手の意向をくんだり、おもんぱかったりしないと怒るものなんだ。)、平気でいられる自分がいる。そして、実際、そんなことしても決して怒らないだろう。病気になったことで、現実に母に対して強くなった。相手が何も言えなくなったということだ。逆に言えばこれまでそれだけ支配的な母親だったのだ。不安だったから、心理的に自分のコントロール下におきたかったのだろう。病気になるということはほんとうに強さを獲得するということで、今まで自分の思い通りにいかなければ、わめきちらしていた母が、一切、何も言わなくなった。

そしてお互い心からの思いやりと感謝、を持てるようになった。旅行に行ったのは、私自身が、母を許したからである。それに対する感謝というものが、母の方から感じられた。今までのように、先に手を出そうとしたり、口を出したりしようとする感じがなかった。・・・いや、私の見る目が変わったので、ただそう見えたというだけのことかもしれない。

「一卵性親子」
これは日本では至極一般的にあることなので、まるで問題視されていない。それどころか、これを「仲の良い証拠」と受け取っている場合さえある。
だが、この状態は褒め言葉なんかではない。仲の良い証拠でもない。カンガルーの袋にいつまでも娘が入っていることで、親も娘も、なんとなくあったかくて心地よいのだが、母が倒れれば娘も倒れる、娘が倒れれば、母も倒れるという危険な状態なのだ。

私は、1人になれた、孤独になれた、と思っている。孤独であれる、という感覚を持った。ああ、母は自分とは別の人なんだと。