うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

『考えすぎた』

2週間ぐらい前に、ふと心に湧いてきた考えがある。それはびっくりするぐらい拍子抜けすることだった。

それは
「この3年半、考えすぎた」
ということ。

すなわち、考えすぎただけだから、「病気になる前の自分と全く同じでいい」「その時に持っていた自分のstrength、すなわち強さ、を頼っていい」ということ。

これ、自分では「え?辿りつく結論そこなの?」ってぐらい拍子抜け。
こんだけ考えて考えて頭がおかしくなるくらい毎日毎日、ネガティブにポジティブに、あらゆる角度から、いろいろいと考えまくってきて、その結果が、「考えすぎた」
ある意味、ふざけるな、と。もっとなんか悟り開いたような言葉ないのかよ、っていう。こんだけ考えたんだからさ。考えすぎたってのは、イコール考えてないときと同じ考えでよろしい、ってことだから。考えただけ無駄、一見。

だって「変わらなければいけない」と思っていたから。
病気になったのは、何かこれまでの自分が全て間違えていたからに違いなく、何か、非常に不器用なやり方が自分をここまで追い込んだと思っていたから、こんな考えが自分の中で生まれてしまったことに、びっくり仰天なのだ。

でも、これが、ものすごく心を軽くしてくれた。
慣れ親しんだやり方で、人生をやっていっていい。自分がこれが自分の強さだと思っていたところに頼っていい。何と言っても、「変わらなくていい」

何人かの臨床心理学者も、患者がよく「元に戻った」
っていうことを言うと書いていた。有名な河合隼雄の場合も、何かの本にあったが、よくなってきた患者が「ぐるっと360度まわって、元に戻ってきた」と言ったそう。

そうそう、夜の暗い海に航海に出て行って、地球の裏側を通って、怖いもの暗いものをたくさん見て、また元の場所に戻ってきて、口をついて出てきた言葉が
「泳ぎすぎた」
ってなぐらい、拍子抜けする結論。暗いものを見てなんか悟ったことないのかよ?と問われても「いや、暗いものを見なくてもよかったって分かった」ってな答え。

アカデミー賞を受賞したフォレストガンプという映画の中でも、主人公が苦しみの中走り始めて、何日も何か月も走り続けてふと立ち止まった時に、みんなが彼がどんな悟りを開いた言葉を言うか待つんだよね。
でもそのときの言葉が「疲れた」とか「家に帰りたい」とかそんな感じの、ものすごく退屈な返答なんだよね。
「家に帰りたいなら初めから走らなきゃよかったじゃん」っていう。それ以外何もないのかよっていう。
多分、ないんですよね、本当に。

何もない、それ以上でもそれ以下でもない、ただ、「あ、私考えすぎたな」
って結論。
でもこれが何かものすごい強さをもたらしてくれる。もう考えなくていいんだから。どんなことが起こっても、考えなくていいって、強み、ではないですか?普通考えるでしょ。怖いことが起こったら。でも多分もう考えないんですよ。だって「考えすぎた」って分かったから。