うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

病気になるということ

 適応能力が高いおかげで、根深い精神病理が表面的には見えなくなってしまっている人に出くわすことがある。なぜこの人はここまで病的なのに、こんな年齢になってまで、何の問題も露呈せずにやってきたのか、と思わず頭を抱えて考え込んでしまうのだが、そういう場合、自分の病理を外に出すことが決して許されなかった環境の側にも要因があるようである。必死に生きる術を育み能力を高めるしかなかった、そうならざるを得ないほどに切迫した環境であった、ということである。(親が精神的にひっ迫していると、子どもは落ち着いて風邪もひけない。)
 
 病気になる上では、無意識に周囲に対して自分の弱さを示そうという意思が働いていると思う。病気になったということは、周囲にそれを受け入れる準備体制ができたということでもある。あるいは本人がそう認知したということである。病気の発現というのは心であろうと身体であろうと、多かれ少なかれ周囲との相互作用の中で位置づけられるものであると思う。
 
 私の場合は、結婚によって、原家族のひっ迫した状態から逃れることができ、余裕ができたところでの発病だったという見方ができる。
 
 そういう意味では、病気になれるというのは、ある意味ありがたいこと、であるに違いない。だから身体の調子が悪いときにはそれは休んだ方がいいというサインで、それを出しても大丈夫という状況に恵まれているということだから、ありがたく思ってしっかり休みたいものだと思う。