母の面倒をみられるようになること
カウンセリングや認知療法や心理学の投影などの考え方で、やっと、母親との関係について、最終的なところまでたどり着けてきた気がする。
母の中にすっぽりはまりこんで理想化しておかしいとなんて全く思っていなかった時代。
そして、母に対して反抗し始めた時代。違う考え方もあるということが目に見えてきた時代。
そこから病気になって。
母がどんな人間か客観的に見るようになったら、たっくさん、母の未熟な面が見えてきて。その中で育てられたがためにひどく傷つくことになった自分を知って。
怒って怒りで体中がいっぱいになって。
全身で拒絶した。母は傷ついた。一人ぼっちになったと感じただろう。それを知っていて、私は、その気分を味わえばいいと思っていた。
私の心の傷の意味をきちんと理解してはいない母。多分。病気で実家に助けてもらいに行ったのに、いきなりの当日「(老後)どっぷり依存してもいい?いやでしょ?」と、急性期の症状で息もつけない状態を必死で我慢している私に向かって、平然と言い放ち、私の様子なんて全然分かっていない。近くにいればそれだけで安心だったのだとか。ああこうやって育ててきたのかと。だから私は深層はかなり傷ついていたのにちっともそれに気づいていなかったのだと分かり。
でもそれからしばらくして意地を捨てて、自分から歩み寄り。以前のようにまた母の愚痴をきいたりするようになった。
母への恨みがそれでもあった。自分が母の思い通りに育たなかったとき、母もまた私と同じように悩むべきなのに、少し憎まれ口をたたいただけで、終わってしまった時、裏切られたと感じたこと。それは自分の側の問題であったこと。母は裏切ったのでも何でもなく、私が自分の苦しみを常に母と共有していたかったからそのように感じただけであること。
そういうことが分かってきた。
それでもまだ、自分の中に、恨む気持ちが残っていて。どんだけ恨んでるんだって話だけど。
今度は、母の未熟な人間性を高めたいとどこかで思っていることに気づいた。
だから老後の面倒をみてもらえないかもと不安を口にする母にかなり厳しい態度をとるつもりでいたこと。
でもそれも自分の投影だったんだ。
自分ひとりで立って生きていこうとしない母の中に、自分の姿を重ね合わせていたのだ。母を成長させられないということは自分も成長できないということになると。だから母を成長させようとしていた。考えてみればこれは今の話だけではなく、昔からそうだった気がする。今はより意識的になったということかもしれない。
でもそれは違う。
母は成長したいなどと思っていないかもしれない。私自身を重ね合わせて母を見てはならない。
だから母が未熟なままでいて、いつまでも誰かによりかかって生きていたいと願っているなら、できる範囲の中で(できる以上のことはしない)そうしてやること
それが本当に、母親から離れるということなのではないか。
母の面倒をみさせられるって、まだ一体化状態なんじゃないかって?
そうじゃない。
ぐるっと回って一周ぐるっと回って、面倒をみられるようになることが、母を別人と思えるようになった証拠、つまり自立したってことなんだと、それが正しい答えな気がしている。