うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

また一つ前進かな

だいぶ自分の中で変わってきた感じが確かに感じられるようになった。また最近、特に。

症状が出てでも、動いていいんだ、動けるんだ、と思えるようになってきた。

きっかけはここ最近、とにかく家の中での考え事を減らすために具体的に動き始めたこと。

特に、体力をつけるために運動を始めたことは、役に立っていると思う

まずは、健康な人と同じぐらいになってきたなあという実感がそこかしこであるのと、

それだけでなく、病前と変わって自分がbuild upされているなあという感覚。

なんか、変わったんだ、人間が。

まずは人生を決めないで動く感覚が分かるようになった。普通の人はもともとみんな

そうだったんだろうけど、自分の場合は、人生が決まっていないと動けないタイプだっ

た。結論が出ていたり、形とかが決まっていないと動けないっていうタイプ。

でもそれがなくなってきたかな。まだあるけどあきらめたっていうのかな。


本当は仕事ができる自分とか、ノーマルである自分、みたいなものが確認できてから

じゃないと動きたくないみたいなところがあった。

でもうつ病になってしまったから、もう全然ノーマルなんかではない。そんなふりして

みたって、もうごまかせない。


ノーマルになりたいけど、できればみんなと同じように。

健康な精神を持った人として生きていきたいけど、そうなることが確認できてからでな

いと動けないなんて言っていたら一生動けない。


私は100点になることを望んでいる

でもうつ病になってしまって多分頑張っても10点ぐらいにしかならない気がしてきた。

つまり、どんなに頑張っても、自分が望んでいるような、明るくて前向きでいつも問題

解決的な人間にはどう頑張ってもなれそうにない。

多分相変わらずネクラで鬱っぽいんだろうなと気づいた。

だったら努力なんてする意味を感じない。

そんなどうしようもない思考をしていたと思う。


でも今は、こう考えている。

確かに100点にはならないかもしれない。

でも何も動かないでゼロを足していったら永遠にゼロだ。つまり今より改善はしない。

しかし努力して0.1でも動けば、少なくともゼロのときよりは前進する。

①0+0+・・・・・・0=0

②0.1+0.1・・・・・・・=1

③10+10+・・・=100


①と②は1しか違わない。②と③は99も違う。

だったら何もやらないゼロが楽じゃない?どうせやったって1にしかならないんだから。
そう考えていた。

でも実は大きな違いがあるのは②と③の間ではなく、①と②の間なんだ。

なぜなら、ゼロはいくつ足してもゼロだが、

少しでも動いて積み重ねていけばそれは必ず今よりは前進するからだ。


私は努力して100になることが保証されているときしか、努力をしてこなかった人間だ。

でもそれはこれまでの話で、今は違っている。0.1しか進んでいなくてもやろうと思っている。

具体的には、

「悲観的に考えないこと」を目的に、毎日外出したり家事をしたりと体を動かすよう今努力をしている。

うつ病の人は、悲観的になる。それがうつ病の症状なのだから当たり前。

ひどい時はそのままでも仕方がないだろう。

でももうここまできたら、悲観的になるのは仕方ないとしても、悲観的に考えない、という努力をする必要がある。

実は、こう決意するということがものすごく大きなことなのだ。実際どのくらい悲観的に考えないですむかより、悲観的に考えないことを選択する、ということが大切なのだ。ゼロより0.000001でもいいからそれを目指すということだ。

そうやって考え、実行してきたことが自信になったのかもしれない。

そうしたら変わってきた。

ただ、症状による支障を小さくできるようになってきただけではない。つまり病気が治ってきただけではない。

自分という人間が、さっき書いたようにbuild upされた気がするのだ。

成長したというのかな。成長したよりbuild upの方がしっくりくるのだが。

まず、将来に結論を出さなくなった。将来を自分のコントロール下に置こうとしなくなった。

形を考えなくなった。結婚したら子どもがいるのが当たり前でとか、どういう感じで仕事をするのがふつうで、とかいうことにこだわらなくなった。食事の準備も良い具合に適当になってきた。

他人に対して関心を持つようになった。心を開くようになったと言ったらいいかもしれない。

考え始めると考え終わるまで行動できなかったのが、考えの途中で結論が出なくてもすぐに行動を起こすようになった。つまり柔軟になってきた。柔軟性のなさはうつ病の人がもともと持っている特質の一つだが、柔軟性を新たに獲得したということも言えるかもしれない。

みなと同じであること、に安心の源を見出さなくなった。わたしたちは全員がみなと同じであるわけがないし、自分はうつ病になってしまったのでもはやみんなと同じ、になろうとしてもなれない。普通の人はうつ病にはならないから。

足元が不安定であることを受け入れるようになった。いつもがっつり足元が固まっていないと動けなかったのだ。安心が保証されていないと。でも不安定な時の方がきちんと正しく前進することに気づいてきたのだ。

ものすごく苦労をした
でも得たものは大きい。

4年。。。