うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

2014年4月~8月

発症後これまでの経過の詳細は「経過全体の流れ」フォルダの前ページに別に記載してあるのでそちらをご覧ください。
 とりあえず全体を簡単にまとめて、前回までで記していない点を詳しく記します。
 
2009年
10月半ば~後半 発症。
2010年
1月~3月:急性期
不安症状、対人恐怖症状、体重10kg減少。感情がコントロール不能で、不安感が激しく長期間続く。内科にて安定剤、睡眠薬処方。一週間のうち数日実家に泊まる。
4月~7月:回復の後退
基本的には実家と自宅を往復。焦燥感から自宅での家事などを開始し、悪化。
2010年~2011年
8月~1月:実家へ通った時期
 実家に通い食事を作ってもらう。帰りは夫が迎えに来る。1週間に1回は、夕食を自宅でとる。両親と病気に関してコミュニケーションをとるようになる。食欲・体重安定する。不安パニック症状、焦燥感は継続。「完全に状態が良い日」や「ひどいパニック状態」がなくなり、代わりに「毎日それなりに具合が悪い」という状態になる。現実の自分を受け入れがたく、将来への不安も強く、否定的な思考は持続。
 午前中に起きて家事を細々とするようになる。
2月~4月:自宅中心の生活開始
 実家に通う気力がなくなったことと、一日中、一人で自宅で過ごすことが何とか以前よりも可能になったことから、実家に通わず、自宅で過ごすようになる。日中は、具合が悪くなると夫に電話連絡をして話をきいてもらう、姉に電話をするなどして対処する。家事を行い、DVDを見る、一週間に一回映画館に行く、プールに行く、一人で電車に乗って遠出する、Wiifitをする、などして過ごす。常時胸部不快感があり、些細なきっかけで不安感上昇し、抑えられなくなる。孤独感が強い。家で活動する家事のチェックリストを作成し、少々苦痛でも行動して自信をつけることができるように工夫する。美容院や友人同士の飲み会に参加したりするが、2,3時間で感情がコントロールできなくなる。3月に起こった巨大地震に対してはさほど恐怖感を持たない。
 通院・薬物療法開始。パキシルアナフラニールリボトリールがメイン。薬物の種類と量の調整時期。胸部のざわつきが弱まる。薬の副作用で眠気が強く、以前より寝ていることが多くなる。マイスリーを中止。一人で家にいて家事をしていると、将来を悲観し、否定的な思考に陥り(夫に家事を手伝ってもらっているので申し訳ないという気持ち、周囲の同年代の友達は仕事や育児をしているのに自分は何もしていないという焦り)具合も悪くなる。一方、外出中は胸の違和感が消失することから、夫にサポートしてもらい家事を減らし、できるだけ外出する機会を設けるようにする。一週間に一回は映画館に行き、また、泳いでいる間は気がそれるのでできるだけプールに通うようにする。wiifit日課とする。
 家事、特に食事の準備全般をするエネルギーがまだないが、それをやらないと罪悪感が生じたり自己批判的になるという状況。家事が出来るようにするより、良くなっていっている部分を強化していくという方法で対処。
 
2011年~2012年
8月~1月:レメロン・アルマール投入、症状に明るい兆し
 レメロン投入。「胸がジンジンする感じ」が軽減。人前に出ても病前と同様の感覚を持てるようになる。マッサージに行く、オンラインゲームを楽しむ、レンタル犬と過ごす、コンサートに行く、習い事を始める。 胸部不快感、年中そわそわした感じは継続。ストレスのかかる出来事があると、落ち込みが強まり身体がだる重くなる。
 レメロンの副作用により体重が20キロ増加。
 家事担当は全て夫が行う。
 
2月~4月:外に出始める
 副作用が出たことと症状改善により徐々に薬物減量。体重・食欲ともに徐々に減少する。習い事を増やす。飲み会やライブなど積極的に参加する。以前もしていた仕事に関することで在宅でもできる仕事をボランティアで開始する。避けていた仲間や仕事に接近できるようになったことが進歩。
 認知療法を自分で本を参考にしつつ本格的に開始。効果を体感できる。
 また食事作りも適切な範囲で行うようになる。
 一方で手持無沙汰なときに胸部不快感が生じたり、病気になってしまったことに対する落ち込み、両親への罪悪感と葛藤、「治らないのではないか」「子どもはどうしよう」といった将来への不安などは継続している。

5月~7月:気分の自己コントロールが可能になった時期
 wiifitや習い事の自宅練習、在宅仕事、オンラインゲーム、読書、家事、テレビ、認知療法等の活動を行うことにより、気分をコントロールできるようになる。習い事も英会話や歌、ホットヨガなどを行い、外に出る機会を増やす。これにより、あえて、緩めの人との約束という縛りを作り、それに合わせて起きたり準備をしたり、と負荷をかけて予定をこなす練習をする。
 カウンセリングに通い始める。
 胸部の違和感(じんじんする)状態は、相当にやわらぎ、代わりに、ざわざわするか全くしないかという状態になる。ストレスのかかることがあったり、夜になると胸がざわざわしやすい。突発的なストレスに関しては動揺し身体症状が強まることが多い。
 時折、ひどく否定的で悲観的な考え方にさいなまれるも、そう多くはない。毎日毎時間ということはない。人間関係で起こり得るストレスは、あらかじめ予測して回避している。「治らないのではないか」という不安はなくなる。
 この症状改善に伴い、薬物も徐々に減量。抗鬱剤は最少容量、抗不安薬は一日2回。
 時折、出産適齢期を過ぎていることに関して焦燥感が強く生じる。
 食事は外食中心になり、会社の帰りに夫に買ってきてもらうようになるが、以前ほど罪悪感はない。

2012年~2013年
8月~2月:症状に対する自信回復&前進
 知人と一週間、海外旅行へ行く。この間、症状が全く出ず、楽しむことができたことから、症状に対する自信が相当つく。また、海外へ行き、価値観に変化が起きる。そのせいか、夜になると頻発していた「胸のざわつき」という身体症状が消失。
 引っ越しの希望があり不動産へ行く、以前やっていた仕事と同じ仕事の面接に行く。いずれも、引っ越しや就職といった変化にはつながらなかったものの、現状を把握し、あきらめることができた。
 さまざまな要因から、夕食の準備が柔軟にほぼ毎日継続してできるようになる。家の中を生活しやすいよう改善し、毎日の入浴や洗顔を心がける。
 親からの精神的自立も進む。本当の意味での「反抗」期。親との一体化から逃れるため連絡をとることを拒否。親の過去の自分に対する扱いへの恨みつらみがある。
 しかし、何か目の前の課題をこなす際に、気力が出ない、頭が働かない、胸部不快感が出る、といった症状は継続。またそのことでおちこむという悪循環である。夜になると胸部不快感が出現するという症状は再度出てくるようになる。「自分は無能だ」といった自己評価の低さ、将来に対する悲観がある。

2013年
3月~5月:毎日の行動課題を厳しく立てて失敗
 「今は病気を治すために何をしたらいいのか?」という焦り・不安から、うつ病回復後期と定めて、この時期にリワーク(職場復帰)施設が行っている課題から、1.規則正しい生活リズム、2.体力の回復、3、認知機能(集中力、思考力等)の回復、4自己分析、の4要素を抽出し、これを基に一週間毎日の過ごし方を決め、実行する。職場復帰訓練では、仕事での課題を認知機能回復訓練として設けていたので、自分の場合は、主婦復帰訓練に置き換え、代わりに、家の中の大掛かりな整理整頓を課題とした。
集中して段取りを考えたり、一度帰宅してまた外出するなどの行動が何回かできた。
 しかし、このような課題を立てたことがプレッシャーとなり、この日課も長くは続かなかった。症状が強く出てきて、このころは出なくなってきていたはずの焦燥感と胸部不快感が強く出てきてしまっていた。
 カウンセリングでも指摘をされ、不満を感じながらもこのやり方を中止する。

6月~7月:発症後初めて将来への希望がうまれる
 「欲張って頑張りすぎたからうつ病になった」→「自分の希望のために努力してもいい」、「自分は無能であり生きていけない」→ 「自分は無能ではなく能力は開発される」のように、否定的な自分に関する思い込みが修正され、発症後初めて将来に対する希望が生まれる。ここから、これまではあきらめていたような、あるいは関心を向けていなかった世間の物事に関心を向けるようになりそこから得られる新しい経験が自信につながる。億劫感・無気力といった精神症状が改善したことを実感する。
 に対しては、反抗期から、親を限界のある一人の人間として認め、良い意味で「何も期待しない」状態となる。結果、過度の恨みつらみがなくなり、親の行動に対してもイライラしなくなる。普通に会って会話するようになる。
 だが一日中一人で家にいるため孤独感が強く、無気力になり、入浴をせず、食事をとらないこともある。 悲観的なときは「これ以上は回復しないのではないか」との考えが浮かぶ。胸部不快感は思考がネガティブな時や寝不足の時に生じるが、それ以外は目立って気にならなくなる

8月~9月:外出して人と会う時間を増やす
 家にいると孤独感で具合が悪くなるため、映画、運動、友人と会うなど、できるだけ用事を作って外出するよう心がける。仕事やこれからの人生について決まっていないことで焦燥感がある。
 両親を含めて旅行に行ったことで、表面的なわだかまりがとけるところまでこぎつけた。
孤独感軽減のため、発症前携わっていた仕事とは別の業種でのアルバイト探しを始める。面接などを受ける。梱包のボランティアを数回やり、他人と作業をする自信がつく。趣味体験、セミナーなどに参加する。他人と会話をしていると、気分が軽くなる。

10月~2014年12月:仕事復帰
 発症のきっかけとなり避けていた仕事と同じ内容の仕事をアルバイトで開始する(週1、2時間)。書痙が出たり、職場でちょっとしたトラブルも起こるが、概ね楽しんでやっている。
 時間の余っている日中にいろいろと考え込んで具合が悪くなることが多い。仕事を始めたせいで、疲れているわけではないが、心理的に仕事のことでいっぱいになっていて、家事などほとんどする気力が起こらずやらない。求職活動をいくつかしてみる。求職活動をいくつか抱えたことによる負荷がかかり、具合の悪いことが多い。

2014年1月~2014年4月:再生に向けて
 仕事は続けている。ボランティアやジム通いを始め、一日の活動量を増やすことにする。リハビリのため日課を立てる。
 新しい人間関係を作ったり、新しい世界を見るための行動が増える。避けていた仕事関係の人に会うことも始める。これにより仕事に対する被害感情を整理することができる。
 そのことに集中しているせいか家事などができないこともある。
 考え事をしていると具合が悪くなる。だが孤独感から考え事が始まるというより、人生について自分について過去についてしっかり考えていて症状が出てくる。孤独感は減っている。
 これまでずっとしがみついてきた「子どもがいて仕事も持っていて家事育児もしている妻」のような標準像に、そこまでとらわれなくなってきており、それよりも「自分が将来何をしていくのが合っているのか」という方向に思考が変化してきたことが特徴である。

2014年5月~2014年7月:週4日アルバイトで症状改善
 新しく軽作業のアルバイトを始める。週3日4時間。以前から続けているものとあわせると週4日のアルバイトである。これにより、考え込む時間が減り、また他人と接して仕事の達成感を得ることができたことから、症状がかなり改善する。書痙、病気について考え込む、家にいる間の無気力感、生理不順などの症状が軽減し、気軽に外で友達や職場の同僚と食事する機会なども増える。病気以外のことを考えていることが増え、病気が治るか治らないか、などについてとらわれている時間が減少する。
 カウンセリング・心理療法も進展し、自分自身についての理解が進むと同時に、そこから今後の生き方や職業選択などがクリアになってくる。そのことも症状改善に寄与している。「人と個と個としてつながれない・関われないという問題が改善してきて、人とのつながりを感じられるようになる。