”死にたい”についての考え方が変わったことに気づく
思えば、若かりし頃、
うつ病になるずっと前の学生の頃は、
”死にたい”って言葉をよく頻繁に発してたと思う。
人にも言っていたし、日記とかにもよく書いてた。
だけど、先日、たまたま、死にたい若者が増えているということがテーマの会合に参加して、
「私、今死にたいって考えるかなあ」と考えてみた。
そこで思ったことは、「生きたいとか死にたいとかではなく、生きるって決めてる自分はいるなあ」
ということ。
なんで変わったんだろう?昔と?
多分、2010年頃のひどい鬱のときに、死というものを本当にリアルに感じたからなんだ、と思う。
死というものが、本当に身近にずっとあり続けた。本当の意味で、今日あるいは明日、死ぬかもしれない世界を生きていた。体重も減り、ご飯も食べられず、日常生活のことはトイレに行くことも含めて一切できず、それでいて薬も一切のむことができない、そういう状況の中を1年半暮らしていた。
それを乗り越えて数年たち、「私はいつでも多分、事件でも、病気でも、事故でも、死ぬことはできる」
ということをリアルに実感してしまった。
そうしたら、とりあえず生きていこうとそう思えるようになった。
気づかなかった、自分がこんなに変化していたこと。しかも良い方向へと。
うつ病になると症状の方にばかり目がいきがちだけど、
内的な変化というのは起こっているのだなあと改めて感じる。
私は今、人に、「死にたい」って言うことはないし、
毎日書いてる日記読み返しても、一切その言葉を書いていない。
健康だった学生時代のときは、日記にさんざん書いていたのに、
やや健康でない今の方が書いていない。書いていない理由は、そう思うことがないからなのだ。生きると決めてるからだろう。
うつ病になって良かったとまでは言えないが、
なっていなかったとしたらそれはそれで大変だったろう。
これらのいろいろな問題を解決できなかったのだから。
最近、なったおかげで楽になった部分がたくさんあることを実感している。