うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

欠点を避けないこと

 欠点はそのままで罪であり、その人に障害をもたらす。しかし、それを直そうとすることは、さらなる罪であり、更なる罰を受ける。唯一できるのは、欠点を直すことができないことの意味を、深く考え痛むことであると思う。そうすると欠点は自然に形を変えるのではないだろうか。苦しみなくして、何も変化は遂げられないのだと思う。
 
 私は自分のキャパが小さいという欠点を直そうとした。が、直そうとする理由が悪かった。自分が人より劣っていないということの証拠を、早急に作り出そうとしていただけだった。それで病気になって罰を受けた。(罰を受けたなんていう言い方をすると、後ろ向きに聞こえるが、前向きにそう思うのだ。)
 キャパが小さいという欠点について、もっと主体的に苦しむべきだった。それを受け入れるしかないことの悲しみや苦しみを避けるべきではなかった。それを通過してからでなければ、何も得られるものはないのに。
 病気になってから、自分の欠点と向き合わざるを得なくなり、かなり苦しんだ。苦しんで主体的に、能動的に考えてみた。すると、手を伸ばしてかろうじて指先に届く結論が、そこにあった。
「どのような状況にあっても、心に余裕があること。そのために、そのプロセスで頑張らないということが、自分の通れる唯一つの道だ」。
 何も新しい考えではない。誰もがよく言っていることである。だが、自分が自分でこの考えにたどりついたことが、新しい発見だった。
 
 たとえば人がどうやってプレッシャーを乗り越えたのか、その考え方を教えてもらうのは簡単である。プレッシャーは乗り越えられないと割り切る人もいれば、人のことは気にしないという考えに至る人もいれば、結果を気にしないと考える人もいれば、ビッグマウスになってあえて自分に負荷をかける人もいると思う。しかしそれらは皆、その人が苦しんで悩んでものにした考え方である。ある種の考え方をものにするには、苦しむしかない。