うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

心の「病気」の定義

 精神の場合、”病気”というときには、どういうことを指すんだろうか?
身体の病気は分かりやすいが、精神の場合、なかなか病気であるということを周囲に理解してもらいにくく、怠け者だとか、心が弱い、とかいう精神論で片付けられてしまいやすいことは周知のことだ。
 
 この病気という状態を分かりやすくするために、専門家はよく「脳に機能変化が起こっている」という言い方をする。確かにそのとおりだと思う。神経系に何かこれまでとは違うことが明確に起こっているのだろうと思う。(この言い方、ものすごくハルキ風www)
 
 しかし、実際この病気を体験している人が、主観的に何を体験しているかといえば、一番これが分かってもらいやすい言い方なんじゃないかと思うが、「病気になる」ということは、つまり、
 
 「自分のことなのに自分のコントロールのきかないところで、何かが起こってしまっている」
 
という感覚である。この例えは正しいか分からないが、
「右手を動かしたつもりが左手が動いてしまって、自分でも『あれっ?』と困惑する」
という表現が一番近いかと思う。『困惑』これがぴったりの言葉だ。
 
 自分では身体が動かせると思ってる、でも、やってみると、あれ、動いてない。
 発作が起こる。今までだって不安が強くなることはあった。それは自分のものだった。そういう感覚があった。でも今度のは、この不安感が、「とても自分のものとは思えない」
 そういうことである。
 
 自分の心のことが、自分のコントロールのきかないところで起こってしまっている。
 
 自殺衝動もそういうものだ、と思う。戦国時代の武将の自害は自分のコントロール下のものであるが、病気になった人が、ふらっと死んでしまうとき、というのは、自分の行動を自分でコントロールしている感覚はないはずだ。ついさっきまで「病気でも生きていこう」と覚悟したばっかりなのに、背後で電車の音がすると、身体がふっとそちらにすいよせられるように、動いてしまっている。そういう感じなんじゃないか?
 
 これはとても恐ろしい感覚だ。
 
 だからこそ、思う。
 
 病気になった時点で、その病気への対処には、必ず周囲の他の人が関わるべきである。自分のコントロール外にあるのだから。
 
 これが”病気”の定義である、と思う。