母とのやりとり
許すことも
突き放して距離を置くこともできない
ダメな自分
ぐちゃぐちゃとやりとりしている
でもそれが正直な自分なんだから
それでまずはやってみるしかないじゃないか
と思う
目にするたびに苦々しく思っていたもの
送り返す
母は私を感情のゴミ箱にしたように
まるでごみ箱のように自分が使わなくなったもの、汚れたもの、の処分先として私に贈ったものが多かった。
一つや二つではない。結局使えずに処分した
下記の送り返したものはその一部だ
下記は添え書き
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母へ
その後お変わりなくお過ごしでしょうか
下記の通りご返却させていただきます
・プラスチック容器/保温袋・・・その節はお料理をどうもありがとうございました。
・料理本2冊・・・結婚時に母より贈られたものです。ですが、こちらの本のレシピのような母のスタイルである完璧な料理は、(病気の影響もありますが、それだけでなく)私の簡素な食事の準備のスタイルとは合致しないため、どのレシピもハードルが高く結婚以来一才使っておりません。今後も使用する予定はございませんが、処分するのもなんですので、ご返却いたします。
・お座敷コンロ・・・上記と同様、使う機会が一才ございませんのでご返却いたします。できる限り汚れは取りましたが、取りきれていない汚れに関しましては、結婚当初いただいた時にすでについておりました汚れですので、どうかご勘弁ください。
もし私の私物で場所をとり困るようなものがまだ実家にあるようでしたら、どうぞ着払いでお送りいただいても構いません。
結婚時に購入していただいた家具や家電製品はおかげさまで現在も長く使用させていただいております。その節はどうもありがとうございました。
届いた旨のご連絡や返信は一才不要です。
寒くなりましたので、どうかお身体に気をつけてお過ごしください。
朝は7時に目覚めるも1時間ぐらい布団の中で考え事をしてしまい、これが良くないので慌てて起き上がって、体内リセットのため朝の散歩15分。
午前中は主に家事。植物の手入れ、洗濯物、浴室の床掃除。
昼は在宅勤務の夫と、鍋を食べる。
そこで色々話す。
午後は、緑内障の手前の診断を受けてしまったので、緑内障についての本を3冊使いながらまとめて勉強。
午後はスポーツジムの水泳。平泳でゆっくり1時間。気持ち良い、心地よいと感じられる。帰り道は、いつも不安な考えが頭に浮かんでくるのをブロックするために音楽を聴いているのだが、それが不要なくらい、不安がなかった。普通ってこうなんだよなーと思うとなんだかガックリくる。
自分のブログ読み返していたら、以前のものでおみくじで、
「ながびきますが全快します」というのを引いた、というのがあったので
診断では不安を伴ううつ病でこういうのはなかなか治らないと最初に言われたというのもあり、覚悟はしているが、長引いても全快するを目指してやっていこうと思っている。
あえて厳しいことを言いたいと思います
毒親で恨んだり苦しんだりしている場合
本当に本気で、毒親の弊害、そこから受ける害悪の影響を除去するために、
謙虚に努力を重ねてきたでしょうか?
私の知っている人に、食料品店のアルバイトで生計を立てている人がいます。その人は発達障害だそうです。自分でも何かおかしいと感じていた彼女は発達障害にピッタリ当てはまると書籍を読んで知った時、精神科に行き、そこでの対処法など聞いて、結果的には、1、2回で行かなくなったそうです。
なぜなら、発達障害のためにいわゆる”全く空気の読めない”彼女は、”空気を読む必要のある”接客の対応での困りごとを、100通り、ノートに書いて記憶し、それに対する対応を100通り、用意していたので、精神科で教わることが何もなかった、言ってることは大体わかるな(自分のことなら自分のほうがわかっているな)、とニーズを感じなかったからなのだそうです。
私たち、毒親育ちは、毒親に育てられたことによる悪影響に対する対処法を、
ノートに100通り書いて記憶し実践していると
果たして言えるでしょうか?
カウンセラーなしで、カウンセラーに聞いても大体自分のほうが自分のことわかってるな、と思えるほどになっているでしょうか?
それとも親への恨み言なら100通り、記憶しているのでしょうか?
これに対する反応は
「どうしてそんなことを”自分のほうが”しなければならないのか!?(親がすべきだ)」
ではないでしょうか。おそらくこんな調子だとカウンセリングに行っても、
毒親の悪影響を除去してくれないカウンセラーを悪者にして終わりそうです。
中には10通りの対処法を用意している、という人ならいるかもしれません
しかし
”空気の読めない”彼女が、100通りの”空気”を種別して記憶したように、
100通りだったならば、どうでしょうか
そんな人はこのブログには訪れないのかもしれません
なぜなら、他人の毒親話よりも、今の自分の中から毒親の影響を排除することに、100通りの対処法を導き出し試行錯誤し実践することに忙しすぎるからです。
自分のこと、にフォーカスしてみたいと思います。
あくまでも、自分のこと、です。
自分の体内に流れる毒には、自分が責任を持っているのです
自分が責任を持って解毒する、そういう宿命を持っているのです
それが謙虚であるということです
そしてもしその対応がうまくいったならば、
自然と感謝の気持ちが生まれてくることだろうと思います
そして視線の先にはおそらく”親”はいないのではないか
と思います
なぜなら先ほども書いたように
”自分のこと”で忙しすぎるからです。
人生の終わり頃を時々想像してみることがあります
自分にとって必要なものとそうでないものがはっきり分かって
でも自分にとって大切なものももうなくなってしまって
両親が死んで
姉は姉の息子やその家族と暮らして
親友は出身地の地方に戻ってしまって
年上で女性の方が長生きなので夫は私より先に亡くなってしまって。
自分一人になって。
「あーやってもやんなくても、結局は何も変わらないんだけど、
どったんバッタン色々やったなあ」
って苦笑するんだろうなって
「でも自分て結局全然小さい頃から変わってないな」
こう思って生きてる気がする
ただ必要なものと不要なものがわかるようになっただけ
それだけでも大きな違いではあるんだろうけれど
ここにはどうしてもネガティブなことを吐き出してしまうけれど、
鬱や不安も長引いているし
何やかんや色々あったけれど
実は
今
幸せですよ
大丈夫
幸せなことというのは
わざわざ書かないものです笑
職場のランチで本当に幸せなこと話す人っています?
それと同じです
本当に言えない不幸があるのと同様
本当に言えない言いたくない幸せというのも
あるもの
死の淵にあった時
こんな状態になれるとは
とても思わなかった
あんまりありえないことではありますが
毒親が本当に反省をした時には
自分「なり」の愛情ではダメなんだと、認識し、すぐさま行動に移すのではないでしょうか。
「なりの」
なんてものに何の価値もないと、はっきりと認識し、愛情よりも不適切養育、不適切環境を作らないことに、尽力する
のではないでしょうか
やり方がわからなければ、本でも読む。人に聞く。人のやり方を見る、真似する。
愛情極まってなのかどうか知りませんが
本人なりには愛情極まって(ジャニー喜多川のように)性虐待をしそうになった時、
愛情は脇へ置き、虐待をしないことが最優先課題であり、自分の欲望をどうコントロールするかを考えるのではないでしょうか
母性や愛情に頼りすぎ、思考停止に陥っていると毒親になります
母性や愛情より大事なのは、適切な養育環境
それ以上の何者でもありません