うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

カウンセラーがあなたを全面肯定している?、んなわけない。

カウンセリングを何年も受けてきて、カウンセラーがそれなりに本音で話しても、私の方も別になんとも思わないというぐらいの関係性になると、カウンセラーが何を考えているかわかる

 

カウンセラーはあなたのダメなところを、しっかりとえぐいぐらいに見据えている

おそらく、その辺にいるあなたの周りにいる親しい人よりも

ずっとずっとあなたの病理とおかしいところを見ている、凝視している

心の中では明らかに否定していることもある

 

カウンセリングを受けている時こんな会話があったことがあった

 

私「なんで虐待するのに二人目生むんでしょうね(世間話的に)」

カウンセラー「そういう人に限ってね。配偶者にコントロールされていてコントロールの方法が子供を作る暴力的な性行為にあったりする」

私「なるほど」

 

私の方から言い出しているとはいえ、「虐待するくせになんで二人目産むの?」に対して、否定なんてしていないですよね。これ加虐親がカウンセリングに来て、二人目生むってなったらそういう目で見ながら「おめでとうございます」って言ってるってことですよ。このカウンセラーの判断がおかしいとは私も思いません。

そんなこと言ってはいけない

カウンセラーは生まれてくる子どもの味方です。それがカウンセラーというものです。

 

親なりの愛情があることと育てる能力とは別。育てる能力のあることの方が優先である。

人を好きになる能力とその相手を大事にすることができる能力(相手を傷つけない能力)とは別と誰かが言った

確かにそうだ

結婚相手では、自分なら、どちらかを選べ、と言われたら、

つまり、相手から愛されてるが大事にされない場合と

そこまで愛されてはいないが、いざ結婚したら普通に結婚生活を送れる場合と

どちらかを究極選べと言われたら、迷わず後者だ

 

親も同じだ

親は親なりに子供に愛情を注いでいる

でも育児というのは「なりに」では不十分どころか、有害ですらある

相手を大事にできない人はどんなに相手を愛していても、結婚生活においては有害なのだ

 

子供を愛してはいても大事にできない、子供を観る能力がない、想像力がない、共感性がない、暴力の衝動を抑えられない、自分が自分の親からされていないのでどう育てたらいいかわからない、能力不足は色々あるが、大抵は親もその親からまともには育てられていない

 

大抵の場合、「一生懸命やる」という根性論的に母親業をやるしかなくなる

反省する場合も「もっと一生懸命、親業をやればよかった」という反省の仕方しかできない

そもそもがその親からまともに育てられていない時点で、十分一生懸命生きているはずなのに、

今までだって「頑張って」きたのに、これ以上頑張らなければいけないのか、いけなかったのかと。

それが被虐待親の感情だろう

 

子供にとって、

特別な愛情はないかもしれないが、不適切な対応をされない育児の方が

愛情があるが不適切な対応をされるより、子どものその後の生きやすさは格段に違う

 

自分のことを好きみたいだが、結婚生活では自分は傷つけられてばかりだという場合には、

大抵の人は結婚生活から逃げ出すだろう

親子関係も同じだ

親子関係から逃げ出す

それしか方法がない

 

その人なりの愛情があるかどうかというのは、育児においてさほど問題ではないのだ

なんの面白みもないことかもしれないが、それが現実だ

 

ジャニー喜多川性加害・ジャニーズ事務所問題

ジャニーズ事務所問題

世論は事務所のことを批判しているが、

なぜ誰一人、「その時親は何してた?」と言わない???

子供が何でも話せる環境を作っていなかったということで良い?

このおじさんなんかおかしい(自分の親とは違う)と思えるだけの、

信頼できる大人のイメージを子供の心象風景の中に作ってこなかったということで良い?

 

まともな親は芸能界には子供を入れない。危ないところだと知っているからである。

「芸能界は特殊な世界」なんて言い方でお茶を濁しているが

特殊な場所とは、公然と虐待が行われしかも隠蔽される場所という意味である。

心身ともに子供が成長する時期に、夜遅くまで働くとか、勉強をする素地をつくらないとか、

大勢の目に晒されてあれこれ批評される立場に置くとか、

そんなことは心身の成長期にすることではない。

 

芸能界に親が入れる理由の最も多いのは、貧困で子供を働かせようという親の意思である。

児童労働という虐待である。

子供は家を救うために、とにかくすぐに大金を稼ごうとするが、

その背景に、親の強い意思がある。

 

なんかこのおじさんおかしい

そう彼らが思えなかったのは、出発点である親がそもそもおかしかったからだ

心の傷が深いのはおそらく公表していない被害者の方だろう

おかしいことをおかしいと思えないからだ

彼らは今もなお、心の中身がぐちゃぐちゃの世界で生きている

それなのに自分のペースで考えるならまだしも

外野のペースで正義ぶつけられても

訳がわからないんじゃないか

 

私は父親から性虐待を受けた時、

父親らしいことをしているのだと一瞬勘違いをした

 

5歳ぐらいの時、日曜日に母親に言われて父親を起こしに行った時、

父親が無言で、私を部屋の隅に追いやった時、

父親は私と遊んでるんだと思った

次の瞬間、無言で本気の成人の力で蹴りを入れられるまでは。。。。

そしてその事実を母親には伝えなかった

母が守るとは思わなかったからだ

 

これが私の心の中にある大人の鋳型である

こんな感じだと

ジャニー喜多川のような史上稀に見る凶悪犯罪者が親代わりで登場しても

その人がなんかおかしいって思えないよね

だってそもそも親がおかしいんだから

心の中に信頼できる大人の像というものが

出来上がっていないんだから

現在の服薬状況

仕事をしすぎて過労で再燃しそうになっていたため、一度仕事をほとんど休養することとした。それでストレスは減っているが、その間に薬の調整を試している。パニック発作は未だ症状としてあるため。(7月に2回も起こってしまった)

 

レメロン3錠

イフェクサー150mg:これが新しく試しているセロトニン増やす薬

リボトリール

 

デパスマイスリーは麻薬に近いですよね

多く飲んでも発作が起こるようにはなっていましたし、どちらも量が増えてきたことに危機感を覚えています。つまり、効かなくなってきたということです。マイスリーは1日飲んでいい上限を超えて飲んでしまうことがありました。翌日仕事となると、どうしても眠らなければという強迫観念にかられてしまうのです。

でもこの薬はやばいことは使っていてもわかります。デパスに至っては活力まで出てしまうんですからね。おまけに耐性がついてきてしまっている。

 

それでこの二つをやめる方向で調整している。

生活をきっちり見直している。

 

ここまでくると本当に脳内の神経伝達物質の問題なんだなという感じがする。

 

小林麻央とお姉さん

↓2018年に書いたブログですが、

その後、お姉さんの麻耶さんが、自分の世間からの評価を下げながらも

海老蔵に一矢報いてましたね笑

私なら自分で生きてる間にやったろうけどね

麻央さんより性格が断然悪いから。

rnonnon.hatenablog.com

結局親との関係は現在どうなったのか

毒親への期待から親がただのダメ(弱く力がないが故に子に害を与える)人間だったという諦めに変わると、

親自身や親との関係性を現実的に見ることができるようになります。

 

現在のところ、姉との関係性は完全に復活し、

むしろ6年前の性的虐待告発事件を受けて、関係性はさらに深まったようにさえみられるほどです。

 

母とは6年間会っていません。が、昨年オンラインで姉を介して会話をしました。あとは年賀状のやり取り、母からの贈り物があった際に受け取りやり取りをする、という程度です。年に1、2度連絡を取り合うというぐらいです。自分自身の健康の悪化など心配させるような話は一切しません。当たり前ですが。これだけでも自立したなあと思いますね。共依存状態であればすぐに話していたようなことだったろうと思います。

 

6年間実家にはもちろん帰っていません。おそらく帰ることがあるとすれば、父が亡くなった時でしょう。

 

父に会うことも会話することも二度とありません。死に顔ぐらいは見るでしょうか。。。。

 

でもこれがとても心地が良いです

実家に帰って嫌な思いをずっとしてきました。

 

依存関係が解消できないために、嫌な思いを我慢して実家とのつながりを持っている人がもしいたとしたら、この私の体験から、依存状態からは脱却できますよということをお伝えしたいです。そしてそれに伴い、暴力的に発作的に襲ってくるような鬱からは解放されます。

親への期待がなくなった時、毒親は毒でなくなり、ただの親になる

久しぶりです。

久しぶりに自分のブログ、ざっと読み返してみました。

いやーだいぶ変わりましたね、心境が。

 

毒親問題に関しては、今日のタイトル通りです。

私がざっと自分の毒親関連の記事を読み通して、直感したことは、

「親への期待の裏返しなんだなあ」ということ。

それもかなり深いレベルで、です。

「一般的にみて、どうしようもないダメな親だった」(毒親ですから、ダメ親であることに違いはありません)

ということを受け入れていなかったようです。

 

例えが安易すぎて、アレなのですが、

例えば、狩猟採集時代、核家族だったとして、1日かかって夕食ぐらいの時間にみんながお腹空かせているところに、お父さんが狩猟ですごい肉を持ち帰って、うわーお父さんすごい!っていう家族があったとしますよね。家族が美味しそうに肉を食べて元気になる、幸せにもなる。

 

そんな家を自分の理想として頭に置きながら、

自分の父親は、1日かかっても家に帰ってこず(肉がとれなかった)、みんながお腹を空かせて待っている時間の期限内にとってくることができず、やっていることと言えば、どこかの家の肉を盗んできて、数日かかって家に持ち帰ってきていた。それも、もう腐りかけているような肉で、家族全員を賄えないような。狩猟という大舞台には立てない父親。そして一人の子供を栄養不良で死なせてしまう。

 

例えば、こんなイメージです。もちろん、うちの親は後者です。

前者の父親を理想としていると、後者の父親は受け入れ難いですよね。だって盗みを働いているし、子供一人を死なせているし。何日も帰ってこないし。

 

親に謝って欲しいと思って、父親の性的虐待を告発したのは6年前ですが、

「ちゃんとしたポイントで適切に謝ってくれる(人たちだ)」

と期待していたんですね。でも、これって相当有能な親じゃないかと思う。

さっきの例で言えば、狩猟で期限内に家族分の肉をちゃんととってくる、知性や行動力、精神性のある父親ですよね。

 

親へのを期待を現実的なものに修正して諦める、そして親から受けた毒を自分で処理しながら、生きていく、

これが自立なんだと思います。