自立とは片腕を差し出すぐらいのこと
よく自立について考える。というのは、私の病気が、自立という問題と深く関わっているからだろうと思う。
精神的自立とは通常、思春期・青年期に行われることである。自己と他者を区分して存在させるための壮大なる一事業である。そして、自分を確立するがために、私たちは、さまざまなものを失わなければならない。
自分の能力について過大評価していた者は、勢いや野心を失い、そのために、本来の能力以下の人生を送ることになるかもしれない。
反抗期がひどく、不良の道に入った者で学業から離れた者は、その後の人生でさまざまな利得と安定をもたらしてくれるであろう学歴を失うかもしれない。
でも、自立をするためには、そこまでする必要がある。人生において、とても大きなものと引き換えに、人というのは自立をするのだ。
それはまるで自分の片腕を差し出すようなもの。
私の場合、自立するのに病気になる必要があったのだと思う。病気にでもならなければ、親の保護下から抜け出すことができないのだと思う。
病気になると現実には、苦しいというだけでなく、さまざまなものを失う。人生の大事な時間を非生産的に過ごすことになるし、もしかしたら子供も産めない一生になるのかもしれないし、お金もなくなる。社会での経験値も失う。
そういうことと引き換えに自立というものは行われる。
心というのは不思議なものだ。