コミュニケーションをとる
少し前のところで触れた、コミュニケーションをとる、という方法。
これ、とても大切で、役に立ちます。
病気の時は、病気だから堂々と助けてもらっていいはずなのに、なぜか逆に遠慮してしまう。
そうすると、我慢が心の中に澱のように溜まってきて、余計具合が悪くなってしまう。
方法は簡単です。いくつか自己主張訓練の本なんかにも載っていますが、そのエッセンスをとりだすと、
1.状況を伝えて、
2.素直な気持ちを伝えて、
3.どうしてほしいのか頼む
※追加するとすれば、そうするとどんな効果が得られるかを説明する
1.何が起こっているのか、共有します。相手が問題を認識していないと、共通理解のもとに立てません。
2.それからとことん「正直である」こと。正直であることと相手を責め立てることは別。ポイントは相手に対してというよりもむしろ「自分自身に正直になる」こと。そしてその気持ちを大事に手に持って、そっと相手に受け渡す、イメージ。押し付けたりしない。自分に正直である人に対し、責め立てる人はまずいない、というのがこれまでの経験から言えることです。正直であること、あなたはあなたの大切な人に、自分が病気で困っていると伝えられますか?隠したりしていませんか?自分に正直になれば、自分は病気で困っていると、分かるはず。
3. 大切なことは「常識にとらわれない」こと。
「普通はこんなこと頼まないよな」とか、「こんなこと頼んだら悪いよな」、とかは、なし。頼むことに普通も普通じゃないもないのです。大事なのは、できるか、できないか。そしてそれは相手が決めること。キャパの大きい人なら富士山だってのぼってくれます(笑)。好きな人のためなら、どこへでも宝物を探しに行きます(笑)。それを考えれば、何を頼んだっていいと分かるでしょう。
私の場合、気分転換に外へ連れ出してくれた家族に対し、本当は具合が悪かったにもかかわらず、「せっかく連れ出してくれたんだから気分転換ちゃんとしなければ」という思いに駆られ、一生懸命、気分を変えようとした。でもその結果、よけいに具合が悪くなった。それで次からは、
「気分がよくなるようにと誘われて出かけ(1)、気分転換しなければとプレッシャーになって追い込んでしまって、具合が悪くなったので(2)、帰らせてほしい(3)」
と思い切ってその場で伝えることに。良かれと思ってしてくれた家族に対し失礼ではないかとものすごく言いにくかったけど、一回言ってしまうと、みんな大したことなく受け入れてくれた。黙っていてどんどん具合悪くなって最後にいらいらして当たり散らすよりずっといい。
それから、ご飯の片付け。
父親が、「ご飯の片付けぐらいしろ。そうすればこちらも気持よく手伝ってやろうって気になる」
と言った。(あらかじめ言っておくが、父は本など読んで病気についても理解し協力しようという気慨は持っているので悪気があって言ったわけじゃない。健康な人の常識の範囲でこう言ったのだ)
これまでの私なら「そうだ。いくら病気とは言え、ご飯の用意をしてもらっているのだから、片付けぐらいしないと」と、そのまま言うことを聞いていただろう。
でも、ここで、立ち止まる。
ちょっと待って。自分に正直になって。
「私、今、片付けできるの?」
いいや、できない。それができないから来ている。それでそのことを懸命に伝えた。いろいろやりとりはあったと思うが、最終的に父は、食事後「そこにおいといていいからな」と言ってくれるようになりとても気が楽になった。労力的な負担が減ったということ以上に、父と通じあえた、ということが、大きなカギになったと思っている。
病気だから健康な人の常識は通用しない。だからこそ、コミュニケーションをとって、その溝を埋める必要がある。