うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

 両親とは、重いものだ。両親は自分にとっての世界そのものであると言ってもいい。親なんて、、、とつっぱねて友達や別の世界で羽ばたいている人にも、心の中に、親の存在は確かにある。
 
 母のこと。
 
 母。
 
 こう書くだけでも、重たい。それは複雑な感情を呼び起こし、愛情、憎悪の念、分かち難くお互いが引き寄せられてしまう感じ、期待、裏切り、など、さまざまな感情が絡まりあっている。好きなのか嫌いなのか、よく分からない。
 
 病気になってから、母に対してこれまでの正直な気持ちをぶちまけた。母はとても苦しんでいた。毎日私のことが頭から離れたことはないと言っていた。自分の育て方のせいではないか、自分がよく見てあげられていなかったからではないかと誰もが自分を責めるもの。母も例外ではなかった。
 それまで「もう私から離れてほしい。私はあなたを受け止める力がない。そうすれば治るでしょう」など、防戦一方であった母が、振り絞るように言った。
 
 「この世の中で一番大切なもの、宝物である人とちゃんとした親子の関係を築けなかったことが、残念でならない」
 
 魂ののせられた心からの言葉だった。
 
 「この世の中で一番大切なもの」
  
 心にずしりと響いた。この人にとって、私はこの世の中で一番大切なものだったのか。
 
 誰でも欠点はあるものだが、母は恐らく心理的資質に限界がある人で、私に対する理解も浅いし、感情のコントロールも不良であるし、これまで私を必死で育ててきてくれたが、今にして思えばピントがずれていて、果てしなく傷ついたこともあった。それで母は自分のことしか考えて生きていないのだと思った。
 
 しかしそれは少し考えが浅い。母は、理解力とか想像力とか、キャパシティに限界があって、そうして、私にいろいろなものを結果的には押し付けざるを得ないこともあったのだ。能力に限界があるために自己中心的にならざるを得ない面もあったのだろう。だが、母にとっては私はこの世の中で一番大切な宝物なのだ。
 
 親としての能力と、親としての愛情とは別のもの。
 
 言葉にするのは簡単だがそれを思い知った。母を責め立ててしまって申し訳ないと思う。本当に申し訳ない。母のためにも懸命に治さなければならない。
 
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 母を避けているのに、母が私に必死になって身につけさせようとしたもの、そういうものが嫌いだったはずなのに、それを必死で身につけようとしている自分がいる。おかしいよね。ものすごい葛藤。
 
 母が私のために愛情をかけてやらせてくれたもの。
 
 水泳、スキー、英語、食へのこだわり
 
 こういうものを押し付けられたと責めているのに、今こういうものをやっておきたくてしょうがない。母から直伝のレシピを教えてもらっておきたいと必死になっている。
 
 複雑だ。どうにも複雑だ。