うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

病気であることを忘れてはならない

病気であることを忘れるようなことを日常的にしてはならない。気分転換なのか回避行動なのか、判別が難しいが。
 私はここ数年、病気になってから、自分が病気でないことを証明することにばかり執念を燃やしてきた気がする。もう充実感や満足感を味わえるようになる段階は終わっているからそんな自分を鼓舞するようなことをする必要はない。

 時折、不安が襲ってくる。特にこのような病気の時でさえ起こる「楽しい時間」、自分があたかも「正常である」「有能である」「うまくやれる人である」ように見えるような瞬間、たっくさんあった。
 でも朝起きて自分が病気であることを再認識する時、過去2年半に起こった楽しかった出来事がとりもなおさず病気の期間中に起こった出来事であることを認識させられるとき、がくんと落ちた。

 私は、有能なんかでも、普通なんかでもない。
 「(幼児的な心の中の)母親が期待する自分」ではない=愛されない自分

 この、心の底に横たわる、巨大な不安。

 これと向き合わなければ、もうここから先は回復しない。

 「不幸な人生になるのではないかと恐れている」と家族に言うと「もう不幸でしょ」と言われた。
 そう、私、この期に及んで自分のことを不幸じゃないと思っている。ものすごい否認。これをやめよう。まずやめるんだ。もう不幸なんだからさ。

 もはや薬を飲んでいるか飲んでいないかが自分の病気か病気でないかの区別ではない。月並みな言い方でなんとも歯がゆいが、

自分がありのままの自分を認識できているかどうかにすべてがかかっている
 薬をのんでいる自分をもし受け入れられないのなら、それは結局治っていないということになる。薬を飲んで精神科に通っている期間は「自分の人生ではない」などと思っているのだ、私は。でもそう思っているとしたら、いつまでも治りはしない。
 これまでの病気人生、といっても2年半だが、を客観的に見ることにしよう。良い悪いの判断を保留にして。