うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

変化&自立

ほんの数週間前まで親に対する、おさえようのない怒りがあった。さんざんブログにも書いた。
それで、本気で親に対する怒りを、メールに書いて清書した。
本当に送信するつもりで書いた。

私がなぜ、こうなったかについての、考察を。
親の暗い部分。うちの家族が隠しておきたい部分。私がそれを背負わされたこと。

具体的に親が私にしたひどいことも書いた。

これに対して親は何も言い訳できないだろうと思った。言い訳などできないはずだ。メールに書いた分析は、家族の抱える問題を浮き彫りにした考えの深い内容であった。

親はこれに対して何も言えないだろうと思った。ある意味では立派な、家族に関する分析であった。だれが読んでも、私の親のことをひどいと言うであろう。

・・・しかし、私は結局送ることをやめた。

理由はただ一つ。

私がその親の行為に対し、そのときにNO!をつきつけなかったこと。それが全て、なのだ。

人間がとる自発的な行動を、別の人間が制止することはできない。ある意味で、人がとるすべての行動は自由なのだ。それがどんなにひどい行為であろうと、その行動はその人のものであって、私のものではない。だから親が私にしたひどい行為も、それは親のものであって私のものではない。だからその行動をとったこと自体を私がどうこうしようとしたところでどうしようもないのだ。それをとるような親であったこと、理想の親でなかったこと、それが悲しいとしても、その行動を操作することはできないのだ。

私がそれが嫌だったのであれば、私は、それに対しはっきりとNOをつきつけなければならない。自分が嫌だという意思表示を、はっきりとしなければならない。それを怠ったにもかかわらず、その時の親の行動を責めるのは理屈に合わない。

私はまだ小さく、弱かった。ゆえに、親の価値観に逆らうことは、困難であっただろう。だから、もう一度同じ人生があったとして、やはり私は、親に対しNOということはできないかもしれない。それでも、そのとき言わなかったという責任は、今の私に降りかかるのだ。今の私は子どもの頃の自分の行動に対し責任があるのだ。

だから、私は、このメールを送らなかった。

そうすると不思議なことに、親に対する、どうしようもない憤り、イライラが、ふっと消えた。

数日前は、両親にたまたま会う機会があったのだけれど、話したときも、相変わらず、ダメだなあと思う部分があったのだけれど、明らかに昔の私とは違っていた。親のそういう行動に、全くイライラしなかった。イライラしたのはいまだ、親に何かを期待し依存していたからだということがはっきりとわかったのだ。

今でも下書きに保存してある。親に対する怒りがわいてきたら、もう一度これを見て、そして送ればいい。
もう二度と、同じ怒りがわいてくることはないことも分かっているのだけれど。

2010年6月8日のブログ「それでも操縦かんを握る」を読んでみてほしい。
3年たって、このときの自立の恐怖がやっと、去ったのだ。三年かかった。