うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

孤独感⇨対処の方法

今日は1日暇だった。
何もすることがなかった。
そして孤独感をとても強く感じた。

だが対処することができた
対処できた?ってよりは、孤独感をコントロール下に置けた、
って感じかな~と思う。

ちょっと変遷を書いてみて、後で同じことが起こった時に役立てるようにしたい。

初めは「孤独感」ではなく、
仕事上面倒なこと、に気がとられていて、それに対して強迫的になっていた。すごくストレスを感じて、なんかなーんもする気が無くなっていた。

そして(私はアプリで認知療法ができるものを使っているのですが)、アプリにメモ書き程度に認知療法をどんどん記入
もはや認知療法になっているかも分からないけど、分析したこととかを記入

↓こんな感じ(これ、そのまま書いたもの。アプリに記入したものを黒字にします)

自動思考:私は(仕事で起こっている)ストレスフルな状況に対処できない。
     (けど)考えることをやめないといけない。でも(考えるのをやめることは)できない。
根拠:何かしてもすぐに思い出してしまう。Aの時のように。
   何も楽しいことなんてしたい気分じゃない。
   考えないように頑張っても、どうせうまくいかない
   考えないように試したら、すぐはうまくいくだろうけど、きっとすぐダメになる
   それについてまた考え始めちゃうだろう

<後述:なんかこうやって書き出してみると、私の思考回路ってホントダメ人間の典型。。。考え方が病的だって思ってたけどただのダメ人間だった。。。>

ここまで書いてみて、少し分析してみた。
これって「また考え始めちゃうだろう」って書いてるけど、何も考えてないじゃん?じゃあ何考えているの?って。
そこで思考回路を変えてみる
いやむしろ

”私には考えるべきことがある”

本当に気になっていることを回避して、ストレスに対処できないということばかり頭の中で繰り返していたことに気づいた。それで、本当に気になっていること、その中身を書いてみた

自動思考:彼は彼女を擁護して私はそれに対して防御できないで、怒りを感じるだろう。みんなは私の言うことを理解してくれないだろう。
根拠:私の上司は(みんなも感じていることだけど)、コミュニケーションを取るのが難しい人だ。
反証:彼らは私の母親ではないので、もし理解してもらえなくても必ずしも理解してもらう必要はない。私がたとえ怒りで反応したとしても、彼らがそれに対して私の母親と同じように反応するとは限らない(母は自分自身をコントロールできない人だった)
バランスのとれた見方:彼らは私の母親ではない

ここまで認知療法をやって、気持ちがスッとするのを感じることができた。
私が誰かに完璧に理解してもらいたいと、家族以外で感じる時、大抵、母子密着の名残が残っている。それでこれは、母親相手と仕事上の相手を同等に扱ってしまっている、と気づいた。これはカウンセリングを受けてきて、自分が理解したことだ。

それでもまだ、心に何か落ち着かない不安定な部分が残っているのを感じていた。
そしてこれは、昔だったら母に頼っていた部分を、もう頼らなくなって、感じている不安定さなんだと理解することができた。
そうしたらそこでもまた気持ちが一瞬スッとした。

そしたら次に出てきたのが「孤独感」だった。

そして今度はこれに認知療法で対処してみることにした。

状況:家に一人
感情:誰かに会いたい、とても寂しい、孤独
自動思考:私は完全にひとりぼっち。
     誰も私を求めていない
     私には「今寂しい」と言える人が誰もいない
根拠:今家に一人でいる
反証:誰かに連絡とったりしてみなければ、ひとりぼっちかどうかなんて分からない
   2、3回、以前友人に「暇だ」と連絡したら返ってきて孤独感が和らいだことがあった。
   (ここで気持ちがスッとするのを感じる)
この後、寂しい時は、家に一人だろうが、人と一緒にいようが寂しいんだよな~と考える。それに家に一人でも寂しくない時は寂しくない。だから問題は自分の心の開き具合なんだ、と考える。

反証:今、自分をコントロールできていると感じる。さっきよりも少しだが。
   夫には心を開ける

コントロール感覚(孤独感をコントロールできている感じ)が戻ってくる
行動を起こす:母にラインで返信をする、その友人にラインで連絡を入れてみる

その後、気になっていることがあることに気がついてくる
それは、参加しているサークル関係のこと

行動を起こす:それで、思い切ってサークルに電話をしてみた。会話をしたら一気に改善した
そしてそこでの会話で自分のサークル上やらなければならないことが発生して
ある人に連絡を取って、連絡くれて嬉しいと言われて、一気に心が軽くなる。

そのあとは、孤独でありながらも、仕事で来たメールみて
孤独とか言ってる場合じゃないな、勉強をしなければなと考え直したり、昼ごはんを食べることを思い出したりして食べたりした。
日記を読み返して、学生時代の友人たちと心理的に繋がっていることを思い出したりもしていた。

こうやって書いてみて思うのは、自分やばいかなと思うのは、

家に一人でいること=自分が完全に一人ぼっちである

となってしまっていること。
すぐに連絡できる友達がいないとか(これは本当なんだけど)、
単にいま、そばに人がいない、ということで、私はひとりぼっちってのは赤ん坊と一緒じゃないかと思う。

やはり、母と心理的に離れた、というのは非常に大きいわけで、
一生母子密着のまま終わる人も特に日本人には多いが、
私の場合病気になりそれに気づかされたので、まだまだ、自分片割れな感じ、というのが継続している。
自分一人で自分になれていないというか。
だから無性に寂しくなる。人恋しくなる。要は片割れ探してる。

一日自分の孤独感と向き合って終わったな。
にしても仕事上のストレスは結局今のところ、focusしなくなった。

私の思考回路のまずいところは
コーチングでも指摘されていて
今ではすっかり身についたリラクゼーション(走ったりお風呂はいったり)
も、忍耐強くなく途中で諦め、ちょっとやってすぐ良くなったとしてもまたすぐ悪くなるに決まっている、みたいな思考回路があってそれが問題だった。初めからリラクゼーションの回数や時間を設定して長めにやることで効果を実感できた。
忍耐強くない、というのと思考回避傾向、に問題がある。それが思考回路に反映されてしまっている。本当は問題に気づいているのだから、しっかりそれを考えて対処しなければならないのだった。