うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

きっかけと経過

 最初は不眠から始まった。早朝覚醒だ。それでそのまま仕事に行くので、だるい、やる気が出ない、という状況が続くようになった。そのうちストレスで一睡もできないというようなことも、起こるようになった。
 仕事で、自分でも気づいていない、過度の緊張が数年間、ずっと続いたのだと思う。それでドバっと疲労が出てしまった。燃え尽き症候群みたいなものだ。自分のキャパを超えていることに、気づいていながら、無視していた。「自分にはできません」なんて、言えるような状況ではないから。。。それは、仕事をしている人になら分かると思う。今改めて思い返してみると、どこからどう見ても、能力が不足していた。自分の容量を認識していなかったという点でも、容量の大きさ自体も。
 
 あるとき、仕事の悩みについて夫に相談していて、いつもなら気持ちが楽になるのに、得体の知れない不安感が持続し、なかなかおさまらなかった。その後、洗濯物を干しているときに、過度の疲労感を感じ、「これは辞めなければならない」と直感した。それで辞めることにした。しかし、事情があって、すぐには辞められなかった。パニック発作が起こり、字を書くのに手が震えて書けなくなった。
 それでも、仕事、という社会的な壁は、何とか最後のところまで、踏ん張りを与えてくれた。気が張れていた。そして、特に支障もなく、仕事をまとめ上げた。そして辞めた後、ここからが試練だった。
 
 最初の3ヶ月、高度の恐怖感・焦燥感が一日中、一秒も休まることなく、持続する、という状態が数度、出現した。最初は、一人で家にいるようになったことがきっかけだった。この恐怖感は、言葉で言い表せるようなものではない。その間身体症状、とくに胸部の違和感、呼吸のできなさ、歩いているときの脚の振るえ、手の振るえ、食欲低下といった不安症状が継続した。不安の内容には頭が働いても、生活の一つ一つには全く頭が働かなかった。どうすることもできずベッドの中に入り、必死で気分転換をしようと試み、そして挫折していた。何度も水を飲み、何度もトイレに行った。そのときだけが、なぜか心を落ち着けることができる瞬間だった。眠る前と、食事前は恐怖だった。眠れないのではないか、食べられないのではないか。。。体重は3,4ヶ月で10キロ落ちた。不安障害に有効な呼吸法ももちろん試した。しかし役に立たなかった。呼吸をすると、腹部に変な緊張が走り、余計に息が苦しくなった。薬は冗談なくらい効かなかった。
 
 自宅で一人でいる練習をしてみた。しかし、食事を作っているときに、もうダメだ、と思った。とても作れなかった。幸い実家が近かったので、実家に逃げ込んだが、事態は変わったようで変わらなかった。「疲れたんだから、実家で好きなことしてゆっくり休んで」、というのがとりあえずの家族と自分で決めた方針だった。でもそんなに簡単で単純な問題ではない。家族に症状を訴え、振り回した。ときには文字通り12時間、母親にへばりついて訴え、離さなかったことがあった。両親も疲弊してしまった。日にちの感覚がなくなって、いったい何日たったのかも分からなくなった。このまま結婚生活を再開できないのではないかという恐怖で、症状がひどくなり、外出もできなくなった。電車に乗れなくなった。何もかもが恐怖だった。テレビやインターネットのニュースが見られなくなった。眠る直前に身体症状と焦燥感が激しく、とてもおさまる気配がなく、子どものように母のベッドにもぐりこんだこともある。不思議に心が落ち着いた。精神疾患にかかると、乳児か幼児のように子ども返りするようだ。
 
 実家に泊まりこんで10日ほどたっただろうか、仕事が忙しい中、夫が迎えに来て、電車に乗って自宅に帰ってみることにした。それは恐怖だったが、ここで行かなかったら、一生帰れなくなると思った。夫に連れられ、電車に乗った。その間、何も話さず、何も考えなかった。目をつぶり、呼吸に集中した。電車から降りたとき、夫が「エレベータにする?」と聞いてくれた。脚が震えて階段を降りられないかもしれないことを気づかってくれたのだ。(ちなみにこのとき夫と交わした会話はこのくらいだ)。私は首を横に振り、夫の手を握り、手すりにつかまり、駅の階段を降りた。家に着いた途端、涙が出た。帰ってこられたという安堵感なのか、いや、そんなものではない。つらかったのだ、とてもつらかった。やっとたどりついた、そういう気持ちだった。
 帰宅した当日、胸の痛みと恐怖感は全くおさまらなかったが、耐える術を電車に乗ることで学んだ。症状が出ても耐えられるのだ。耐えるという覚悟、耐えるしかないという背水の陣、これで耐えられるのだと分かった。高い崖から転落し、木の枝にかろうじてぶら下がっているときのような恐怖感、ジェットコースターに乗り続けているような感情。それが毎秒毎分毎時間、毎日続く恐怖は、誰が知ることができよう?だいたいそんな症状、どの精神症状の専門書にも載っていない。でもそれに耐えることが私に課された現実の課題だった。自宅に帰宅後も、夫に症状を訴えることもなく、ひたすら耐えた。AIのSTORYを歌い、涙を流しながら耐えた。症状を訴えているヒマなどなかった。本当に苦しく耐え難いとき、人というのは歌を歌うのか、とこのとき思った。つらすぎて、歌を歌う、なんて、信じられない境地だ。何となく口ずさんでいるのとは、訳が違うのだ。一度でも「ダメだ」と思ったら、そこから転落する。だから、決してそう思わないよう、考えないよう、歌を歌っていたのだ。
 
 次の二日間も同様に耐えた。すると自信がついたのか、その二日間の間に、少しは耐えられる、という気持ちになれた。この間は夫が休みだったが、その次の日からは一人では家にいられないので、実家に行くことにした。すいている電車が来るまで、心を決めるまで、駅のホームで一時間座っていた。春であったのが幸いした。すがすがしく、暖かい天気が、応援してくれた。電車に一人で乗ることができた。
 それから実家に通うようになった。食欲がなく食事がとれない、作れないので、なるべく食指が伸びるようなものを母に作って出したもらった。なるべく自宅から実家に通うようにし、ときどき泊まることにした。食事もだんだんできるようになってきて、体重の減少も抑えられた。しかし身体症状と不安感はおさまらない。一日中何もできなかった。何も考えられなかった。自宅の中で不安感に耐えられず、狭い廊下を3時間、往復していたこともある。本当に3時間である。歩き方を変えたり、歌を歌ったりしながら、3時間。
 
 4ヶ月目に入り、やっと元気な頃気分転換としていたゲームやDVDを見ることができるようになってきた。少しずつ料理もするようになり、外食も夫と一緒になら可能になってきた。不安感や焦燥感も、当初に比べればレベルが下がり、思考力も戻ってきた。気分転換もある程度は可能になってきた。精神的エネルギーが底上げされてきたのである。