うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

2017年12月~2018年12月

 
2017年12月~2018年3月:親からの性的虐待告発事件
12月半ば:家族に父の虐待行為を告発
12月クリスマス:恐らく無意識でこれまでの家族の均衡を破られると恐れた姉から、縁を切ると言われ、実家とは音信不通に。父からは無反応。夫が間に入って姉と私は縁が切れたわけではないことを確認する。この件で両親が精神科に通い始めたことが伝えられる。
12月末:年賀状は来ない。母親からおせちのお重が届き、愛情を感じて安堵すると同時に、怒りでかぶさっていた紙をビリビリに破く
1月正月:父に直接謝罪を求める手紙を送り、しかし恐ろしくなり、手紙を郵便局から差し戻す手配をする
1月半ば以降:この問題のせいで、職場でもパニック発作が出て会議を中座せざるを得ないなど症状悪化、罪悪感も強固。常に実家との問題を考えている状態
2月:カウンセリングにて破壊衝動について話して多少楽になるも、次の週カウンセラーがカウンセリングを破壊衝動の攻撃に対する無意識の反撃というアクティングアウト(本人の弁)でカウンセラーがカウンセリングを失念。これに対して私は怒りを露わにし、2週にわたって不満を述べた後、6年もにわたったカウンセリングをやめる
3月:カウンセリングやめた後、別のヒーラーのところへ行って一度話を聞いてもらい、「30年分を3ヵ月で何とかしようとするな」「両親が精神科に行ったのは、cureされるということ。良いことをしたのじゃないか。」などと言われたことで、なぜか、スポっとそれらがはまり、急に乗り越えて、落ち着いた安定した状態になる。「父が悪かったのだ」「私の中に思春期からずっとあった心のしこりのようなものは、父親が原因だった」ということが、すぽっと心の中にはまり、自分で自分を理解し、自分のしたことは良かった正しかったと腑に落ちる。心から病や病巣、毒が排除されたような気持ちになる。
その2日後:姉から、「会ってお茶をしよう」と連絡あり

2018年4月~2018年6月:本格的に妊活開始
髪をバッサリ切る。2014年末から4年半に渡りやっていたオンラインコーチングを辞める。専属でボランティア開始。不調を治すため、ヨガに頻繁に通い続け、効果を実感する。友達と会ったり、ボランティアに行くなど、社会的活動を行い、楽しんでいる。妊活を開始する。朝見た悪夢に引きずられた起床後や、休みの日、特にGWで調子が悪い。

2018年7月~2018年9月:試験勉強、仕事での過大な負荷を乗り切る
猛暑に加え、誕生日の具合がすこぶる具合悪い(誕生日に母からプレゼントが来たため)。オンラインのカウンセリングに申し込むなどで対処する。仕事関係の試験勉強を始める。具合悪くて進まない時も多々あり。集中困難。だが、現実的に計画を立てて、期日までに課題を進めるという作業を行うことにより、状態がかなり改善する。試験勉強のため妊活中断。8月前半、活力がかなり上がっているのを感じる(スピード感を持って仕事量をこなすなど)。だが、休みの日は相変わらず悪い。仕事で過度の負荷かかる出来事があり、エネルギーを奪い取られる。この負荷がしばらく続く。夏休みに自分で計画を立て、夫と旅行に行く。旅行と言えば実家についていくだけだったが、この旅行でどこか自立した感じを持つことができる。

2018年10月~2018年12月:妊活再開、新しい仕事開始、規則正しい生活リズムの定着
睡眠制限法を使って薬なしで不眠に対処してみるが、5時間ぐらいしか睡眠時間確保できず断念する。実家のことや病気のことを人に話す機会があり、深い体験をして、実家のことを忘れて過ごすことができる。新しい仕事にアプライし採用され、開始する。一つの職場の喪失感、ボランティア先の喪失感を体験する。以前よりも辛い状態に抗わずに薬をちゃんと飲むようにし、最寄りの駅を家に近い場所に変え、夫に食事の買い物や、洗い物を手伝ってもらうことにして、毎日、朝昼晩の食事を自分で作り摂るようになる。仕事が増えたせいで、生活リズムが整い、また考え事をしている時間がなくなる。妊活をしながらも子供を持つことへの多大な不安がある。新しい仕事への充実感がある。有給ボランティアを含め、週4.5日の勤務で、9年前の発病以来最大の仕事日数である。レメロン1錠、リボトリール1錠、デパス2錠を毎日服用。