うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

親への期待がなくなった時、毒親は毒でなくなり、ただの親になる

久しぶりです。

久しぶりに自分のブログ、ざっと読み返してみました。

いやーだいぶ変わりましたね、心境が。

 

毒親問題に関しては、今日のタイトル通りです。

私がざっと自分の毒親関連の記事を読み通して、直感したことは、

「親への期待の裏返しなんだなあ」ということ。

それもかなり深いレベルで、です。

「一般的にみて、どうしようもないダメな親だった」(毒親ですから、ダメ親であることに違いはありません)

ということを受け入れていなかったようです。

 

例えが安易すぎて、アレなのですが、

例えば、狩猟採集時代、核家族だったとして、1日かかって夕食ぐらいの時間にみんながお腹空かせているところに、お父さんが狩猟ですごい肉を持ち帰って、うわーお父さんすごい!っていう家族があったとしますよね。家族が美味しそうに肉を食べて元気になる、幸せにもなる。

 

そんな家を自分の理想として頭に置きながら、

自分の父親は、1日かかっても家に帰ってこず(肉がとれなかった)、みんながお腹を空かせて待っている時間の期限内にとってくることができず、やっていることと言えば、どこかの家の肉を盗んできて、数日かかって家に持ち帰ってきていた。それも、もう腐りかけているような肉で、家族全員を賄えないような。狩猟という大舞台には立てない父親。そして一人の子供を栄養不良で死なせてしまう。

 

例えば、こんなイメージです。もちろん、うちの親は後者です。

前者の父親を理想としていると、後者の父親は受け入れ難いですよね。だって盗みを働いているし、子供一人を死なせているし。何日も帰ってこないし。

 

親に謝って欲しいと思って、父親の性的虐待を告発したのは6年前ですが、

「ちゃんとしたポイントで適切に謝ってくれる(人たちだ)」

と期待していたんですね。でも、これって相当有能な親じゃないかと思う。

さっきの例で言えば、狩猟で期限内に家族分の肉をちゃんととってくる、知性や行動力、精神性のある父親ですよね。

 

親へのを期待を現実的なものに修正して諦める、そして親から受けた毒を自分で処理しながら、生きていく、

これが自立なんだと思います。