うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

発症後1年間の経過

 経過の全体の流れを記しておこうと思う。やっと書けるようになった。この一年は、自分がいったいどういう状況にいるのか、訳が分からない状態が続いていたので、良い傾向だと思う。 
 
 しかし、発症前までの経過については、今は書けない。
 
 そのうち書ける日が来るかもしれない。でも時間がかかるだろう。
 
 ということでまず、発症後1年経過したので、この1年間を振り返ってみる。
 
 10月半ば~後半 発症。この頃の具体的な症状は割愛
 
2010年
1月~3月:急性期
完全な発症。呼吸困難、胸部圧迫感、不安焦燥感、思考力低下、不眠、喉のしめつけ感、対人恐怖、長時間周囲を振り回しつき合わさせる、否定的な思考にとらわれる、食欲低下、といった症状が出現。特にこれらが一日中持続する点が特徴的。極端に良い日(全く症状が出ない日)と極端に悪い日がある。精神科受診するも主治医と合わず中断、以降内科にて安定剤、睡眠薬処方。一週間のうち数日実家に泊まる。不安感のため自律神経症状が出現し食欲低下、体重が10キロ減少する。
 
4月~7月:回復の後退
基本的には実家と自宅を往復。母親に自宅に来てもらうことも数度ある。一日中継続するコントロールできない不安焦燥感を回避しがたい。これに対し、新しく先へ進んでいると確認できるような方法をとりいれると、一定短期間、不安焦燥感から逃れられることから、麻薬のようにそれを繰り返す。実家と自宅を往復しながら、自宅での料理を完璧に始めたり、あるいは実家で地域生活を開始しようとしたり、電車に乗る練習をし始めたりする。この頃ブログも開始する。しかし、できることが増える一方で、それらを実行するのが非常に苦しく、椅子から立ち上がるも困難、パニック状態になって家族を振り回すなど底辺の状態には全く変化がない。そういった状態の時には食事がとれなくなり、遂にコントロールできない希死念慮が出現。
 
8月~10月:回復初期段階
夫の対応が変化。私は一人で自宅で過ごすことはやめ、毎日実家に通うこととし、また、夫は残業をパス、実家まで毎日迎えに来て、両親と4人で食事をとることにする。また、自宅での食事の準備は全て夫が行うこととする。夫が両親に対し、病気に関する情報提供を行うなど、両親と我々夫婦とで病気に関するコミュニケーションをより積極的に開始し始める。食事の準備を母に頼み、食欲に関しては安定。体重も順調に回復。胸部の違和感は相変わらず始終続く。パニック状態も時に出現、新しく不安から逃れられる方法を見つけ出しては実行に移そうとし挫折することは相変わらず続く(引越しをしようと試み、内覧に行ったことがあった。)しかし、思考力が働くようになってくる。希死念慮も、思考の範囲内におさまり、自動的に行動に移してしまいそうになる程度ではない。一日はレンタルビデオを見るなどして過ごす。家の中でのジョギングを始める。日課を設けることで不安焦燥感を逸らすことができるようにする。その際、不安の程度を時間ごとに記録。
 
11月~現在:回復中途段階
症状が底上げされてきて、ひどいパニック状態が消失。胸部の違和感と否定的な思考、焦燥感は継続。興味深いのは急性期にあった、「完全に状態が良い日」や「ひどいパニック状態」がなくなり、代わりに「毎日それなりに具合が悪い」という状態になっている点。現実の自分を受け入れがたく、将来への不安も強く、否定的な思考は持続。よく考え込んでいる。安定剤としてデパスのほかにセディール追加。両親と病気について共有し合い、正直に気持ちを伝え合う時間を2週間に1度設けるようになり、両親とのコミュニケーションが積極的に図られるようになる。両親の理解が進む。夫とも毎週、症状や対応をきちんと相談する時間を設ける。午前中に起きて家事を細々とするようになる。自分の中でも「自分が自分であることの安定感」を少しずつ感じ始める。ちょっとした行動に苦を感じても実行できるようになる。焦りなく食事の準備を手伝ったり自分で準備をしたりすることができるようになる。1週間に1回は、夕食を自宅でとるようになる。