うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

弱さの克服

メンタル的な弱さを克服する方法は、
はっきり言ってない
弱いものは、弱い
それは体質みたいなものだ。血圧が上がりやすければメンタルは弱くなろう。体の性質と関係していると思う。

だが、メンタルの弱さというものに、距離を置いて対処することはできる。
多分人によってやり方は色々だと思うが、
自分の場合は、徹底して弱さを貫き通したこと。
弱さをやりきった。とにかくやりきった。やりきってやりきって、これでもかというほどしつこくそれをやりきって、そうして、何も弱さに変化はなかった。
あまりにも冷酷に、その時の状況に合わせて事態がどんどん深刻さを増していっただけだったのだ。
そして、私自身の力ではなく、家族や偶然などの力によって、たまたまここまで回復してきた。
その時やっていたことは、弱さを直視し、孤独を直視していたこと。
吹きっさらしの大地でか細い棒につかまって立っていたこと、宙ぶらりんの状態でぶら下がっていたこと、それだけ。何もできなかった。だが孤独は直視していた。
今でも自分のメンタルの弱さを思い出しては、高齢になって一人になった時、体も弱くなった時の自分のことを考えて「ああ生きられない」と不安になる。
でもそこでこう考えられる
多分、高齢になった時の、生きられなさより、あの頃の方がよっぽど生きられてなかったよね?
AND
一人になった時っていうけど、あの頃、周りに人いたけど、完全に心が孤独で地球上に一人と同じ心理であることを直視していたよね
あれを通り過ぎているんだから大丈夫じゃないか?と。
そしてこれが結果的に強さを獲得したってことなんじゃないかと思う。
はっきりいって、あの時、自分自身がこう対処できた、自分で解決できた、ことは何ひとつなかった。うつ病って自分で何かできる活力、全エネルギー奪われることだから、あの時、何もできていなかった。考え方を変えるエネルギーさえ、残っていないからね。考え方を変えるってエネルギーいるから。

私のメンタルの弱さってこんな感じだ
大海原にいて船でプカプカ浮かんでて、怖くて船室から外に出られなくなって、
外を見られない弱さ
回避とも言えるし、いつか誰かが助けてくれるだろうみたいな依存とも言える
はっきり言って、どーしようもない。
まあそこで大きな船にぶつかられたら沈んで終わりだわ

じゃあ何が強さかっていったら
「弱さの底を知っている、見ている、強さ」
なんだ。
世界の果てを知っている、強さ。
地獄の5丁目を知っている、強さなんだ。
自分は船室から一歩も出られないチキンじゃねーかよ
世の中にはそこから一歩ずつ出て少しずつ外を眺めて自分のできること探して行ける奴もいるっていうのによ?
っていうことと、
ひたすら向き合い続けた。

ただ知ってるってだけ
ただ通り過ぎたことがあるってだけ
それだけで強くなっている

思い出したくもない
思い出して冷静に今、考え直してみても、
あの時こうできたはずだ、と思えることが何ひとつない
何もできなかった
そんなに簡単に変化も解決もできないことと、向き合い続けていた
まるで極寒のシベリアに抑留された人間のように
まるでアウシュビッツを経験したことがあって運よく生き残ることのできた人間と同じように

急性期のうつ病を、不安焦燥が全面に出る精神病性の不安の中を1年半、薬物療法なしで24時間365日い続けた。メンタルが弱く対処力もなかったからだ。はっきり言って。病院に行けるだけの精神力がなかった。

でもそれをやり続けると、
弱さを誤魔化せなくなる
もしかしたら私強いかも?なんて一ミリも思わなくなる。

ああ弱いんだと。そのことと徹底的に向き合わされる
上から、何か降ってきたりはしない。
あわよくば自分にも何か力があるかも、なんて期待に、神様は答えてくれない
まるで遠藤周作の沈黙のように。。

そしてなぜか生き残った
徹底的に自分の弱さを突きつけられて、それに対してなんの期待もしなくなって、今、
謙虚にならざるを得ない

弱いのだから助けを求めよう
私は弱いのだから、できることをやろう
できることは何かはあるはずだ
今生きることだけを考えよう
まず今の辛さにだけフォーカスしよう
未来のことは後で考えよう

そんな思考回路をするようにならざるを得なくなっている。