うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

ああ病的な家族だった

もっと早くに本来壊れていてしかるべき家なのに、
実家とはとてもくっついていた

高校生の時、外で遊ぶことも、自宅の居間で皆と過ごすこともできず、
自分の部屋の机に座って英単語書いているときだけが安心できた

高校時代というある意味では一番エネルギーがある時期に、私の活動の幅、活動量ときたら、
うつ病の今より少なかった

姉は3歳のときのある家庭内での事件がきっかけで「私には家族はいないと思って生きてきた」
と言っている。

にもかかわらず実家の近くに住んでいる。

そして衝撃的だった言葉は
「お姉ちゃんはなんで家をでなかったんだろうと思うんだよ。
多分、家を出たら一生帰ってこないんじゃないかと思ったから」

衝撃だった。

でもそれ正しい

健康だから離れていてもつながっていると思える。

うちは父は、愛想をいつ尽かしてもよいのだぞというナイフを片手に持って待っているような父親だったし、
母親は子どもよりいつも自分が優先だった。子どもとの境界が作れない人だった。

病的なのにそれが分かっておらず、離れたら本当にやばくなるから一緒にくっついている家族、
という本当に病的な家族だったのだ

それでも楽しいと思える時もあったけど

普通の家庭なんてないしそんなもの目指さなくていいんだね
愛情さえあればね

うちは愛情がなくて、そのせいで形だけ綺麗な家庭を目指していた
病的なせいでそれが成功してた

私はそれに我慢がならなくなった
40歳にもなって未だ思春期を脱していない私は、
この家庭はおかしい!
ってことを声を大にして言ってみた

それが今回の件だ。

しかし病的な家庭
やはり動きが無い

無反応

父は怒り返してさえ来ない

無反応

思った通り

普通の家はずっと会わなくてもつながっていると思えるでしょう

でもうちは思えないんだよ

だから病的なんだ

バラバラでいいんだよ

本当はどうしようもない家だったんだ

特に父親

バラバラでいいじゃん!だってあいつのこと好きじゃないだろ?
って言えない、そういうふうにできない家族って病的なんだよ

そのくせ怒りをため込んでいるから何らかの形でそれを放出している

母は私が火事の中に置いてくる夢を見た後で、
すぐにパニック障害を発症した。救急車呼んだそうだ。

そして今回の件で父親は精神科に行ったそうだ。2度目。

ほらね、私が家族の病理全部引き受けてたんだよ

4人のうち3人精神科通院中になった
75&。

これが自然な姿の家なんだよ
みんな病的。

姉はなんで病気じゃないかって
いち早く家族を見捨ててるから
3歳の時に。傷ついていない。

多分心の奥底では私のことも恨んでいる
優しいお姉ちゃんだったけど

崩れて正解
崩れるのが自然
なのに、まだ崩れやしない
まだ認めやしない
病的だってこと

お姉ちゃんは家をでたかったんなら出れば良かったのに
その力もあるだろう

私はこの実家から離れようと思う
バラバラになるのが自然なのだから
普通はね離れていてもバラバラという感じはしないの
でもうちは、離れたら、本当に心がバラバラになってしまうの

これなんだ、私の問題はって本当によく分かった
だから愛情を切られるのではないかと心配している
そりゃ一人で家にいられないわけだわ
人のことも信頼できないわけだわ

遠くにいてもつながってる感がないんだもの
姉には心の底では恨まれている
母親は他者に依存することしかできない
父親は愛情欠乏。愛情が何かを知らない
私も続く愛情は多分知らない
だから友達ができない

もう家族ではないところの人間関係をしっかりと作っていくしかないなあ
本当に。残念だけれど