うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

姉と会った。

感動した。

 
いたく感動した。
 
姉から連絡があった時、私が姉と交流はしたいが「両親の話をしないこと」という条件をつけていた以上、彼女がその心の準備ができたから連絡があったのだとはわかっていた。
それは彼女が「両親のメッセンジャー」ではもはやないということ。
 
それでもまだ私は疑ってた。
「両親のメッセンジャー」として、
つまり、父親がよくやる、自分の意思を直接は言わず間接的に誰かに言わせるというやり方、を取る役目を背負わされて姉はくるのではなかろうか、と。例えば「俺は性的虐待をのんのん(私)にしていない」と姉に言わせてくるのではないか、と。
そして、それがわかったら、私は姉との会合でその場で席を立とうと、そう決めていた。
 
だが、そうではなかった。
 
姉は私の姉として、
私と姉との一対一の関係性の中にある姉として、
私に会いにやってきた。
 
場所は都心のホテル。アフタヌーンティー
 
会う前の私の心持ちは、まるで、別人の会うかのような気持ち。
もう別の人なのだ。これまでとは違う人に会うのだ。
なぜなら私はこれまでのまやかしの家族の関係性をコテンパンに崩壊させたのだから。
 
そして結局、姉は一切、両親の話をしなかった。
それは私も同じだ。
 
3時間ぐらい話せる時間の余裕があったのだが、
正直、両親のことを一切話さず話が続くのか、
途中でその話が出てきてしまうのではないかとヒヤヒヤしていた。
 
だが結局、その話は出て来ずに済んだ。
 
我々はお互いの仕事の話、女性の複雑なキャリアと家事育児の話、などをした。
上司である姉の部下の不満愚痴、
姉を女性登用の波に乗せ、会社の駒として出世させられようとしている話、
それをよく思わない上司からの嫌がらせ。
 
私は私で仕事上の部下と上司との間でもめた話等々
女は親の話なんかしなくったって、
たっくさん話すことあるんだ。
 
最近の妊活クリニックでの検査の仕方の話もしてあげたら面白がってた。
検査で「旦那の精子が一つ動いてます!大丈夫です!って言われたんだよ?一匹でいいんですか?って思わず聞いちゃったよ」(大笑い)
とか、
「のんのんの部下で上司に好かれてる後輩女子、無駄に贔屓してムカついたから上司にキレてやったら、謝罪しますと言われたよ」とか、
 
そりゃーもう話すこと盛りだくさん。
 
しかし、二人とも心に重いものを抱えてた。
そして決してそれは口にしなかった。
 
姉は土日を選ばず、
仕事が猛烈に忙しい中、平日の午後わざわざ半休を取った。
それなら姉の家の近くに住む両親にもバレないからだろう。私と会ったこと。仕事に行っていることにできる。半休を取らずに土日だと目立つ。この日を空けたために、他の日に結局仕事のしわ寄せがいったであろうことは働いている私には察しがついた。実際、そのようなことを少し言っていた。次の日に大きな仕事が控えていたのだ。
それでも、仕事を休み、会いにやって来た。
 
私のために労を取ったのだ。
 
3時間では足りないくらい話したが、両親の話は決してしなかった。
お互い心に重たいもの、抱えていても決してそれを話さず。
 
私の覚悟が伝わったのかもしれない。
 
12月から3月まで、
覚悟して決して折れることはなかった
精神症状を出しながら、
なんども共依存の誘惑に倒されそうになりながら、
 
全く謝っても来ない両親に
おもねることだけは決してしなかった
 
父とは生涯会わぬ覚悟
母は、謝らなければ生涯会わぬ覚悟
 
それが伝わったのか。
 
姉が親のメッセンジャーでなかったこと
 
何も背負わず、
何にもコントロールされず
本当に一人で
私との一対一の関係性において
わざわざやってきたこと
 
姉と話し終わって別れてから涙が出た
両親の近くに住み、精神的に面倒を見ている姉は大変だろう
 
私の告発以来、姉は私の夫に、両親はやっと生きているという状態で(自業自得だろという感じだが)、姉が毎日見に行かなければ、ならない状態だと言ったそうだ。
 
そんな両親を抱えながら、
私に一切それを言わなかった
 
私のいうことは正しいと思ったのだろう
私のいうことは親の小さい頃からの態度で、真実だと悟っているのだろう
 
感動して、心が震えた
 
来てくれた
 
ただ来てくれた
 
これからは親は関係ない
 
私と姉との関係だ。
 
昔と同じ会話
 
どうでもいいつまらないことで笑い合う仲
 
今日も面白い画像見つけてラインで送った
 
私たちは生きてる
 
共に前を見て生きてる
 
背中に両親という重たいものをそれぞれに違う形で抱えて
 
なお前を見ている
 
そんな気がした
 
姉よ
 
私たちは大変な親の元で育ったが
 
私と姉とでは親からの扱われ方が異なり
 
どちらもひどい思いをしているが、課題は異なる
 
それぞれに重石を背負って、でもそれを口にしないで生きていこう
 
ただ黙って、それを背負って自らの人生をそれぞれに生きよう
 
口にできぬ苦しさがあるのだ
 
それは言わないでおこう
 
なぜなら、もう十分耐えたからだ
 
もう十分だからだ
 
本当に大変だった時、
 
大変だったろう?とも言わないのだ、人は。
 
「ありがとう。」
と本当は言いたかった。でも言えなかった。そんなことを言ったらまるで最後になってしまう気がして。
泣いてしまう気がして。
いやそんなこと言ったら実際泣いてしまっただろう。
 
姉は今の会社で会社の駒として出世をさせられるのが嫌で、海外に逃げたいという
外資系なので海外勤務は可能なのだ
息子を連れて行きたいと言ってた
 
過酷な家庭を背負った家の子は
時折海外に逃げ出す
海外移住したり、海外と関係のある仕事につき、
親から離れようとすることがある。
というか、そういうことが多い。そのままずっと帰って来なくて住む理由を作るのだ
 
姉はこう言っていた
「お姉ちゃんが両親の近くに住んでいるのは、もし、遠くへ行ったら、そのまま帰って来ないんじゃないかと思ったから」
ショックだった。寂しすぎた。でも分かる。それだけ親の愛情がなかったのだ。親から愛情をもらっていないんだもの、返さなくてもいい。それでもいたのはもしかしたら、私がいたからかもしれない。
 
姉は私の告発があってからもしかしたら海外赴任がかえってできるようになるかもしれないね。
もう親から解放されてもいいよね、だってのんのんが解放されたんだからね、私もそのままいなくなってもいいよね、と。
 
海外に行っちゃうんじゃないかなそんな気がしてる。そうすればいい。したいようにすればいい。もういいよ十分耐えた二人とも。
 
お姉ちゃんが海外に行っても、我々二人は繋がっている。