うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

父への反撃③

2017/12/24(日)
姉と再び連絡し合い、私は姉が両親のひどい点について全て熟知し私と同じ見解を持っていながら私の味方についてくれない様子に腹を立て「仕事と育児の両立のため両親を使っているから、私がこんな告発をすることによって両親を混乱させたくないんでしょ」「あんな父親に子供の面倒を見させてていいの?」と言うと、姉は激怒し、「私は私に昔、力があったらのんのんを助けてやれたとそう思っていた、何で助けてやれなかったんだと思っていた。なのに人の心をえぐるようなことを言う。姉妹一生支え合って行こうと思っていたけど、縁を切る」と言って電話を切る(しかし姉は以前「両親には“大企業に入って出世するのがお望みだったんでしょ?こうなってほしかったんでしょ?だからあなたたち私の手足となって働いてよね”というメッセージを伝えて育児も家事もやらせている」と言っていたので私が言ったことは間違えていないしむしろ図星だった。)
しかしこの時の、縁を切ると言った姉の口調はまるで部下の解雇を決行していったときを彷彿とさせるような、本気の、冷気の漂う強い口調であったため、私は本気にしてしまう。
 
2017/12/25(月)
家族と縁を切られた、ことから、夫も私も動揺して、落ち着くよう確認し合っていた。普段通り生活しようと試みる。家族写真を見て、こういったことは二度とないと思って涙が出ていた。そして自分の心を分析し、あのLINEでは、私がまやかしの家族を破壊しつくす意図があったこと、自分があの家から離れたくて言ったことだと理解した。
 
姉は夫に、「のんのんとは距離を置く。メールが来ても返事は返さない。こちらからアクションを起こすことは無い、のんのんは私にまで攻撃性を向け、私をコントロールしようとしている(味方につけて一緒に父親を攻撃するよう仕向けている)」というメールを送る。
 
2017/12/26(火)
姉に会うのが最後のつもりでメールを送る
「お姉ちゃん、
この前のあれは言い過ぎた
別に縁を戻して欲しいと言っているわけではない
真実が重すぎ、真実を思い出させる私の存在は、
見るだけで重すぎるだろう
だから私には会わない方がいい
これで最後だろう
だが、謝りたい
前写真のアルバムに載っていたのんのんの大好きなポエム
今の私の心境、お姉ちゃんに対する気持ち
これを書いて
終わりにする
I had this little friend.
We played together, we even slept together
but right now I'm all alone
You left me , and went so far away.
You left me here all alone.
この日、やっと自分が送ったLINEは、明らかに相手を破壊しようとする意図で書くものであったことに気づき、実際そのつもりであったのではあるが、姉や母とまで縁を切るとは考えておらず、これからは夫と二人だけで生きていかなければならないんだ、と当たり前のようにあった家族の大切さに思い至る。
 
2017/12/27(水)
仕事をしていても気もそぞろ。身が入らない。帰りの電車の中で泣く。夫につらいとLINEをする。夫が駅で待っているという。帰り道に話し合う。夫は間に入ってやると言う。私は病的であったと自分でも感じると認める。夫が姉に連絡をし「距離を置くと言っていたが縁を切るという意味ではないよな?」と確認する。夫は姉に「のんのんがボロボロだ」と伝える。姉は喧嘩のやりとりで言っただけで距離を置くだけ、自分がのんのんと両親について話をしていて、こういうことが起こったから話さない方がいいと思うと思ったという。母は薬を手放せない状態、父親も精神科に通い始めたことが伝えられる。