うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

先日の認知療法

状況 15時半、夕食を作ろうかと考えた。
感情:憂鬱80、不安70、怒り50、罪悪感80、困惑80、失望80、後ろめたい80
自動思考:希望がない。私はうつ病で不安障害で、何をやってもダメだ。耐えられない。両親との関係がこじれた。全く連絡もしていない。一度うつになったら何も思い切ったことが今後できなくなるだろう。一度鬱になったという時点でもう人間終わりだ。両親の期待する人にはなれなかった。両親が誇れる人間にはなれなかった。私の生きる道はもう閉ざされた。これから何かをするたびに体の具合が悪くなるのだろう。これでは何もできない。何もできなければ私は生きがいを失ってしまう。
根拠:再発におびえて暮らすことになる。ストレス耐性が低いことの証拠。今体が重い。まだまだうつ病に対する偏見は残っている。それだけ忌み嫌われるものだということ。うつ病になるのは人格がゆがんでいるから。人格は生涯かけて変わらないから。ストレスを受けるたびに体の具合が悪くなって動けなくなるから。具合が悪いとご飯も用意できない。
反証:人の痛みを想像できるようになった。物事を表面的にではなく立体的にみられるようになった。うつ病を降伏し、それを受け止めて復活した人もいる。ボランティアの仕事に復帰した。ストレス耐性が低いことは自分のせいではない。感情が激しやすいような気質も影響を与えている。勝気な人を受け入れられるようになった。終わりにするかしないかは自分次第。うつ病体験があったかどうかは関係がない。人より上に行こうと躍起にならなくなった。これを利用して生産的な方向へ新しいものを生み出すチャンスである。勝気な病気の人が怖くなくなった。そうか?ええんちゃうん?不完全やし。人間。神様じゃないんやし。鬱になった理由なんてどうでもええんちゃうん?分かんないでしょ。人間いろんな長所短所があるでしょ。不完全でしょ、みんな。全員が完璧だと思ってるわけ???私はそのうつ病になりやすい気質を利用して生産的なことを何か生み出せばいいんじゃないの?
総合:人格気質は一生変わらないだろう。だがそれに対する見方は楽観的にも、受け入れる方向にもなることができる。そのことは終わりであるどころから新しい希望の境地だ。他人を受け入れられるようになり楽になる。