うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

今ある現実は全て自分が創り出したもの

「本当はこんなところでくすぶっているはずじゃない」

こんな言葉が頭に浮かんだ。

怒り=つまり誰かのせい

うつ病の人は、心の奥底で、そうなった理由を誰か自分以外の別のもののせいにしてはいないだろうか。そしてそのせいで、怒りを溜め込んでいないだろうか?

私自身がまさにそれだ。

こうなったのは、あるいはこの状況からなかなか抜け出さないのは誰のせい?って考えた。

病院の先生とか、前の職場にいた人たちとか、夫とか親とか、カウンセラーとか、いけすかない同僚とか、いろいろ頭に浮かぶよね。

でも本当にそうなんだろうか?

今ある現実を創り出したのは、他でもない、私自身。

この私の身の回りにあるもの。家族、家の中、住んでいる場所、仕事の状況。

他でもない、自分が創り出したもの。

うつ病の背後には、強い怒りがあると言われる。怒りの源は、他人であったり社会であったり、親の育て方であったり、発症した当時その周囲にいた人であったりする。そして、実際そうなのかもしれない。
だが、
この「受け入れがたい」現実を創り出したのが、他でもない自分自身であるという認識も、どこかで持っていないと、逆に希望を失うことになる。なぜなら、自分の悪い現実を創り出すのが常に他人や時代やその他もろもろ自分以外の何者かであるということになると、一切の現実は自分ではコントロール不能なものということになり、結果、希望を持つことができなくなるからだ。何をしても自分の力ではどうにもならないと考えたら誰だって希望を失う。
たとえ、自分にとって思わしくない現実がそこにあったとしても、それが自分自身で創り出したものだという認識があれば、自分の行動を変えることによって現実を変えることも可能なのだと考えることができるようになる。つまり、希望を持つことができるようになる。うつ病の症状の一つは(というか一番大きなものかもしれないが)、将来の自分に希望を持てないことにあるのだから、希望を持つための一番の近道は、この現実が自分によって引き起こされたとまずは考えてみることにあるのではないか。

この現実を引き起こしたのは自分である、と考え、何が問題だったのかを真摯に見つめることは、痛みを伴うけれど、全力で目を背けて全てを他人のせいにしなければならないほど、苦痛なものでもない。ちょっと臆病になっているだけではないか?勇気を出して、一歩ずつ、できるところから自分自身を見つめてみよう。その結果、他人と比べて、あるいは自分自身が思っていたより、かなりちっぽけで貧弱な船であるということに気づかされることも場合によってはあるのかもしれないが。
でも、だから何だと言うのだ?たいしたことではない。まだ船は沈んでいないという事実はそこにあるのだから。