毒親を乗り越えた〜謝ってほしい、からの解放〜
とにかく大変だったが、
というものを乗り越えた。
父とは一切連絡を一生取らないし、向こうも連絡をとってこないし、
死に目にもあわないが、
そのことを家族に認めさせている。このことで私に何か言える者は周囲にいない。
誰かが「父親の死に目に会いにもこなかった!」と怒る場合もあるのだろうが、
私はそれを言わせないだけの環境を作った。だから、罪悪感とか父との関係性の今後を考えて重荷とかそういうことが全くない。会いたくないから会わないし、それについて何かものを言える人は、父自身を含め誰もいない。
もう一つは、
毒母に対して、
”謝ってほしい”、という気持ちから解放されたことだ
”謝ってほしい”と思っていたのは、このブログを遡ってもらえればよくわかると思う。
しかし、今、”謝ってほしい”がなくなった
彼女は死ぬまでに私に謝りたいと言っているそうだが、
今の私の感想はこうだ
もし私に謝りたいと思うのなら
それは母親自身の勝手だし
彼女が謝ってきたとしたら
それは彼女がそうしたいからしているのであって
私自身には関係がない。
と。
毒親を許したといえば許したのかもしれない
でも単に
親子分離した
ということなのかもしれない。
おそらくうちの母親は、”謝る”を、仄めかしつつ
実際はいざ私を目の前にすれば、一生謝ることはないと思います。これは断言できます。
そもそも謝るような親は毒親ではありません。
だから私は、謝ると仄めかされたから、
許したわけではありません。
許すとか許さないとかいう感情自体がなくなったと言えばいいでしょうか。
おそらく、万が一、母が謝ってきたとしても
「はいはい」っていう感じで
受け流すだろうと思います
「あ、あなた今謝りたいから謝ってるのね、はいはい」
みたいな感じだろうと。
いつまでも毒親と言っている場合はまだ
親子分離が不十分なのかもしれない
こう思えるようになったことが決して平坦な道のりではないことは、
この記事を読んでもらいたい。私の母がいかに毒母であったか、私の父がいかに毒父であったか、そのために私がどれだけの被害に遭ってきたか、読んでいただきたい。