うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

~急性期鬱の体験世界~


サチコはとにかく職場復帰をしなければならないと考えた。

 数年のひきこもり生活を経た後、身体は通常の日常生活のサイクルを取り戻すことを必要としていた。起床・就寝時間、食生活も不規則になってしまった体内のサイクルを、仕事を始めることで元に戻そうとしていた。駅の階段を昇り終えるとめまいを感じるほどに体力も衰えていた。

 最も適切な仕事は何であろう。サチコはそこで1日4時間、週3日の梱包のアルバイトを選んだ。ここからなら徐々に身体を慣らしていくことができるだろうと考えた。ここに辿りつくまでに、求人情報誌、インターネットの求人サイトを眺める日々がしばらく続いた。募集要項にある「短時間からOK」「主婦(夫)歓迎」「子育てしながらもラクに働ける職場」などの文字が目に留まった。これらの言葉からイメージされる職場環境はどれも良い条件のものに見えた。しかしそこには幾重にも重なった経営者の思惑が流れ込んでいるに違いなかった。優柔不断なサチコはその経営者の思惑を想像して何度も応募を躊躇した。
 それでもこのどうにも抜け出せないトンネルの中にいるような生活からは一刻も早く抜け出さなければならない。もうそういう時期にきていた。

 サチコは公認会計士の資格を持つ33歳の既婚女性であった。3か月後には誕生日を迎えることになっていた。夫は銀行員で、結婚9年目に入る二人の間に子どもはなく、生活費に不自由はなかった。夫とは大学時代のテニスサークルで知り合った。夫はまじめで温厚であり、おおむねサチコには優しく接した。仕事は的確にこなし、必要であれば人と和やかな会話を交わすことができた。サチコの夫は良い意味でも悪い意味でも目立つことがなかった。それがサチコには、まるで自分の存在を消したがっているように見えることもあった。大学ではすぐに意気投合してそのまま25歳の時に結婚した。サチコは幼いころから学校の成績は常に上位であり、都内の公立高校卒業後は慶應義塾大学の経済学部に進んだ。一度は大手のシンクタンクに就職したものの、「このまま人生が終わるのは何か違う」と考え、一年間の浪人生活の末、見事公認会計士の資格を取得した。サチコのまじめな働きぶりは上司からも評価され、順当にシニアの職位を得るまでに至った。

 しかしその後は何かが変わったとサチコは思った。何か今までのやり方では適合しない世界がそこに広がっているように感じた。サチコは今まで通り、通例に従って、会社の経理について検査を重ね、指摘を続けた。しかしまじめにやればやるほど、事態はうまくいかなくなるように感じた。誰もサチコの指摘など耳を傾けないように思えた。うってもうっても響かなかったし何も返ってこなかった。期待通りの結果が出せていないことは明らかであったが、まじめに通例に従う以外にどうすればこの状況を打開できるのか全く見当もつかなかった。
 仕事の帰り、電車の中でサチコは涙を流すようになった。正面に座っている男性がじっとサチコを見ていた。サチコは人目を憚らずただ涙を流した。表情も変えず、涙をぬぐうこともしなかった。ただ涙だけが頬を伝うのを感じていた。
 頭が働かなくなり、通勤途中で動悸がするようになった。サチコは人いきれを避けるため、毎日グリーン車を使って通勤するようになった。食欲が低下し、昼食をだいぶ残すようになった。神経が硬直し、胃腸が動かなくなったようであった。日中は何とか仕事をこなすことができたが、仕事が終わって家に帰ると、激しい胸の圧迫感が生じ、得も言われぬ焦燥感が湧きあがってきた。それはもはや「感情が自分自身のコントロールから離れている」と感じる感情体験であった。こんなことは人生で初めてであった。周囲の目から見てもサチコがうまく機能しなくなっていることが明らかとなり、上司の勧告を受け、サチコは休職に入った。
 サチコはひきこもった。始終「自分がどこのところにいるのか分からない」という圧倒されるような不安定さの中に身を置いていた。自宅にいようと、実家にいようと、喫茶店にいようと、どこにいても落ち着かなかった。胸のあたりが反応して痛んだ。どこにいても自分の居場所ではないように感じた。
 「リラックスできる場所」を探し求めて、そのような場所へ何度も足を運んだ。近所の桜並木を歩き、川沿いを風を感じながら走ってみたりもした。リラクゼーションサロンにもスタッフから顔を覚えられるほど通った。(サチコのおかげでこの店の売り上げは大幅にアップした)犬を連れて散歩もしてみた。小さいころから泳ぐことが得意であったため、家族に勧められてプールにも通ってみた。しかしいずれもサチコの心をリラックスさせることはできなかった。それらを試せば試すほど、なぜかサチコの心は焦りを生ずるようであった。
 道を歩くサチコの表情は能面のようで、誰のことも心の底から信頼していないように見えた。できるだけ人と目を合わせないようにしていた。全く人がいないかのようにして振る舞ったかと思えば、気持ち悪いほどに丁寧に接することもあった。それはまるでちぐはぐであるという印象を与えた。人と接するときのイロハが全く分からなくなってしまったとサチコは思った。
 彼女はいつも「何が正しいのか」ばかりを考えていた。正しいことができないことにひどく怯えていた。人のこの世での正しいあり方とはどのようなものかを常に探っていた。自分は正しくなかった、全く正しくなかったという思いが彼女を支配していた。まごうことなき「正しさ」だけが、彼女の唯一の居場所となり得るのであった。
 サチコは考えた。何が正しいと言えるのかを。考えて考えて思考の大海原をひたすら泳いだ。腕が疲れてもげてしまうのではないかと思われるぐらいに考えた。
 考える際に、知識などほとんど必要なかった。それが必要である時には逆に知識の方からサチコのもとへやってきてくれたからだ。ある日、本を探して図書館に行ったところ、探していた本とは別の本に目がとまり、それを読んでみるとまさに今の彼女の思考の進行を後押ししてくれるようなことが書いてあったこともあった。知識など、その程度のもので十分であった。
 考えすぎてちょうど地球一周分、思考の海を泳いだかと思った時、ようやくある真理に辿りついたと思った。それは以下のようなことである。
 
「何かを取り入れることに対して真に心が開かれているとき、能力の開発は無限である」
 
 逆に言えば、もしある種の能力に限界がある時、結局はその能力を取り入れることに心が開かれていないということなのである。
 これでいろいろなことの説明がついた。絵心の全くなかった死刑囚が、なぜ突然その才能の目を吹かせるのか。学校の英語のテストでは低得点しかとれなかった者が、英語しか話せない恋人を得た途端、なぜ完璧な文法と語法で英語を話すようになるのか、といったことである。
 サチコは自分が優秀な大学に入ることができたのは「学校の成績で高得点を取る」ということに、心が開かれていたからであろうと思った。それは高学歴の両親のもとで育ったからであった。しかしそれと仕事で使われる能力とは別のものであり、サチコはそれでつまづいたのだ。そのことがようやく分かった時、サチコは「ああ、考えすぎた」と思った。考えすぎて地球をぐるりと一周回って元に戻ってきた、と思った。
 もうこれ以上考えなくていい、と分かった。

(続く)