うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

父への反撃①

両親に、
1.(母に)なぜ大学受験後、他の従妹が優秀な中学や大学に入るのを知って「さんざん期待させて裏切りやがって」と言ったのか、
2.(父に)それを母が私に言うのを知っていながら黙って見ていたのか
これらに返事がほしい。
なければ今後の関係性に支障が出る
 
と突然LINEを送る。返事はない。
 
子どもの頃に起こった父からの暴力、両親からの性的虐待について、姉と、母のLINEに突然送りつける。
 
内容は以下
「母からは愛情は感じる。最悪なのは父親だ。
あの人には愛情というものがない。ほとんど私のことなどかまってくれたこともなかった。
 
小さい時、休日に母から父を起こしに行ってと言われた。私は無邪気に父を起こしに行き、“ねえねえパパ起きて”と肩を揺さぶった。あいつは何も言わずに立ち上がり、私を部屋の隅に追いやった。(追記:私は何か父がふざけているのかと思った。)しかし父は足で私を蹴飛ばし始めた。(追記:成人男性の本気の力で)私はただ階下に降り、その事実を母には告げなかった。母には背負いきれないと思ったからだ(追記:まさか父が悪意でそんなことをしたとは思わず意識的には何が起こったのか理解していなかった。しかし無意識では分かっていた。否認をし母に告げなかった)
 
小学校高学年の時、ほとんど私を抱きしめることもなかったあいつは(何かを祝うとか一緒に喜ぶなどで)、私が休日寝ている時に後ろから一緒に布団の中に入り抱きしめてきた。ああ父親らしいことをしているのだと思った。そしたらあいつは手で私の胸をまさぐっていた。次の週の休日もあいつは私の部屋にやってきて、同じことをしようとした。私は肘で必死に胸に触らせないようにした。その次の週からあいつは来なくなった。
 
中3の時、母は「のんのん(私)が父を馬鹿にしている」と父を挑発した。あいつは激怒して二階の私の部屋に上がってきた。私は怖くて寝ているふりをした。あいつはいったん戻ったが、しかし途中でものすごい勢いで引き返してきた。そしてドアを開け、私に暴力を振るい始めた。私の服が破けた。
 
私があいつから愛されていると思うか?
これで病気にでもならないとでも思うのか?病気になったのは私が悪いとでも思うのか?あいつは人間じゃない。
 
このような性的虐待を受けながら、その後母は再び父を挑発するためか、
“そうだ!パパと一緒にお風呂に入りな”と言った。胸も大きくなった多感な時期に言った。その時にこう言ったことを付け加えよう「パパに身体も洗ってもらいなさい」
母の言うことになぜ反対しないのか分からぬ父は(挑発にも屈しないところを見せようとするためか知らぬが)私の身体を洗った。
なぜ断らなかったのか、断れなかったのか
本当に本当のことなど言えない家族だ
だから今言わせてもらう
この仮面の家族の均衡が破れようが、私の知ったことか!
世間体のみを重視してきたあいつの一番嫌がることをしてやる。夫にはもう話した。許さない。私の無力感を克服するために。
このような過酷な生育環境でも、家族の和を乱さぬため親を困らせぬため、不登校にもならず、一流の高校と大学に入り、このような心の傷を負った私ができる仕事は何かと必死に考え高度な専門職に就き、東大でないとなじられても耐え、自分の力で結婚相手を探してきたのは私の力だ。私は生き抜いてきた力のある人間だ。おまけにこれだけのことを明るみに出す勇気のある人間だ。学歴偏重主義の人格否定にまで耐えたのだ。○大学より偏差値の低い×大のお前に頭が悪いと言われる筋合いはない。自分が東大に入ってから言え。あなたの年代で東大に入っている人は山ほどいる。自分で東大に入り、自分で自尊心を高めろ。人に頼るんじゃない!
東大出てる父親の人格がこのザマだ。周りに東大のいる人が多い、という点においてしか自分の誇れるものが何一つないことが問題なのでは?
私が生きているだけで、生きているだけで御の字だと思え。
自分が見合いで親に連れてきてもらうのではなく、自分の力で性的虐待をしない男と結婚してから言え。お前の男を見る目はこの程度だ。自分の実力はその程度であるにもかかわらず、子どもに理想の結婚相手を連れてくることを要求なんかしてるんじゃねえ。
母は(合格すると言われていた)高校の受験の前日に、わざわざ私を追いかけてきてこう言った「のんのん(私)は本当は頭は良くないんだよ」その言葉が頭から離れず、試験の時にパニックになったことを知ってた?この高校落ちたのは、心の叫びだっただろう。ヘルプサインだったと思う。
私の人生を返してくれ。もし愛しているのなら、最後ぐらい愛情を見せてくれ。私が子どもを持つ機会をお前らは奪った。性的虐待の狂犯罪だ。
密室で弱い者、何も言えぬものをターゲットにする、卑怯者!!!!!!
私が父と普段目も合わせず、会話も交わさないのは、性的虐待を受けた者としての当たり前の反応だ。いや、当たり前どころかあり得ないほどの努力の賜物だ。その場に居合わせるだけでも苦痛、殺したいほど憎い、それを私は私自身の筆舌に尽くしがたい努力によってせめて会話をしないという方法をとり、まやかしの家族の和を保ってきたのだ。普通なら家出している。私だからできたのだ。普通の人ならとっくに潰れている。
だが、本当に安心のできる伴侶得て、これまでの緊張がとれ、うつ病になった。
ちなみに私は小学生の頃、カンニングをして帰りの会で言われ、同級生の文房具を盗んでいた。優等生でとおっていた私のこの行動は病んでいる。世間体を重視する母親に恥をかかせたかった。(追記:母親はこのことを知らなかった)
父親には裏の顔がある。父が必死で隠している愛情のない側面、卑怯な側面。この内容を父親にも見せろ」