うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

自分の生き方は正しかったなと思う

自分の半生を使ってでも、普通の人の人生を生きられなかったとしても、

世間的に見れば確かに情けない「精神科通い」であっても

親と向き合ってよかった

それが正しかった

 

親が見ないようにして生きてきた三世代分ぐらいにわたる問題にガチで対決していたら、

精神科に通うぐらいの状態になるでしょう。

 

自分の人生に、人目は関係ない。

やっぱり向き合ってよかったと思う。

 

私はただ、親を責めたんじゃない

責めるだけなら、親には響かなかった

 

やっぱり向き合ってよかった人生でやることやったと思えるのは、

「人目を気にしない」で向き合ったから。

 

でもあれだけのことをやってその結果がこうだとしても、やるべきだったと思う。

昨日の晩、ふとそう、はっきり確信を持てた。強烈にそう感じた。

人から見た人生は関係ないのだ。

 

あのまま何事もないかのように子供を産み育て、

見るべきところを見ないで精神科に通うこともなく、

毒親の母親と共依存関係を解消することもなく、生きていたらどうだったのだろう。

その代わり、なんでかわからないけど鬱、とかなんでかわからないけど不安、とか、そういう状態が続いていたと思う。

 

もうあとは自分の好きなように生きていいかな、と思いますね。

 

 

2017年監護者わいせつ罪制定。

私の頭を幼い頃から撫でたこともない父親、小6の私の布団に入り、2度胸の辺りに手を置き続け、2度目に私が肘で触らせないよう抵抗した後、部屋には来なくなった。

 

「なぜ生まれてから頭も撫でたことがないのに布団には入った?」

 

「なぜ娘が拒否したら2度と来なくなった?」

毎日来て頭撫でてやればいいのに。「布団に入るぐらいい」は通用しない時代。

 

ジャニーズ事務所元社長

くたばりやがれ

人生とは控えめに言って

地獄です。

 

そして地獄の砂漠を歩いている時に、実はそこに天国があることが

わかる人にはわかる。

 

ただ地獄を見ることは容易い

天国がここにあると、それを見極める目を持つには

地獄を直視する目を持たなければ

ならないのだと思う

 

天国は地獄の背後に隠れているわけでも

チラチラと見えるわけでもない

 

そこにしっかりと初めから、本当に初めから、存在している

それを見極められるかどうかは

逆説的だが

地獄をしっかりと見ているかどうか

にかかっているような気が

私にはします

 

私の親はその刃でもって、愛して然るべき娘の人生を完膚なきまでに叩きのめし、

私を根本から傷つけた。

そのことを直視できるかどうか

そしてそのことを直視した時に一体何が見えてくるのか

そこが重要なのだと思います。

苦しんだ時こそ成長する

苦しんだ時こそ成長する

というのは本当だと思う

 

スポーツ選手が苦しい・つらい練習によって成長するように、

振り返ってみて、苦しいと悶絶したことが、大きな成長につながっていた。

 

答えのない中で、

心理的な危機に陥り、混乱し、もがき苦しんだ時こそ、成長していた。

 

母親と分離する時の悶絶はそれはそれは厳しいものだった。

心が危機的状態に陥った。生よりは死に近い、状態だった。

それが2010年だと思う。

 

幸せが多い方がいい?

 

うーん、幸せ感っていくらでも作れるから。。。。

自律神経整えるだけで、幸せホルモン出るから。。。。

 

今一瞬即座に得られる、幸せ感とか、どうでもいいんだ。

本当に楽になるのは、苦しみを経て成長した後なのだ。

しかもそれはゆっくりと訪れるから分からない。

 

今の私の課題は

自分の自分に対する過剰なまでの期待を現実的なものとし、

いかに緩やかに自分に幻滅できるかだ

下手すれば鬱になってしまう

そうならずに、いかに現実の自分を受け止められるかだ。

 

大学受験で親の期待を裏切った時

母親がちゃんと私の教育ができなかったのであるが、

もはやそれについてはなんとも思っていない

母親に対して理想的な親であってほしいという期待がなくなったから

 

その時自分に期待していたのと同じように

自分で自分に期待をしている

過剰なまでの期待を。

 

幸せ感はいくらでもお金で買える時代だ、今。快適な環境はいくらでも得られる。

でも、真の意味での、楽になるには、

長くてつらい苦しみを経なければならない。

それは今も昔もおそらく変わらない。

 

逃げることも逃げないこともできないと追い詰められた時

私は自分への過剰な期待を手放すことができないでいた

逃げても負け、逃げなくてもダメな自分が露呈する

これは本当につらかったですね

 

でも母親との心理的分離を達成できたから、

きっとまたできるんじゃないかなと思う

今度こそ地獄の苦しみだろうとは思いますが

毒親を乗り越えた〜謝ってほしい、からの解放〜

とにかく大変だったが、

毒親

というものを乗り越えた。

 

父とは一切連絡を一生取らないし、向こうも連絡をとってこないし、

死に目にもあわないが、

そのことを家族に認めさせている。このことで私に何か言える者は周囲にいない。

誰かが「父親の死に目に会いにもこなかった!」と怒る場合もあるのだろうが、

私はそれを言わせないだけの環境を作った。だから、罪悪感とか父との関係性の今後を考えて重荷とかそういうことが全くない。会いたくないから会わないし、それについて何かものを言える人は、父自身を含め誰もいない。

 

もう一つは、

毒母に対して、

”謝ってほしい”、という気持ちから解放されたことだ

 

”謝ってほしい”と思っていたのは、このブログを遡ってもらえればよくわかると思う。

しかし、今、”謝ってほしい”がなくなった

 

彼女は死ぬまでに私に謝りたいと言っているそうだが、

今の私の感想はこうだ

 

もし私に謝りたいと思うのなら

それは母親自身の勝手だし

彼女が謝ってきたとしたら

それは彼女がそうしたいからしているのであって

 

私自身には関係がない。

 

と。

 

毒親を許したといえば許したのかもしれない

でも単に

親子分離した

ということなのかもしれない。

 

毒親は謝らないから毒親なわけで

おそらくうちの母親は、”謝る”を、仄めかしつつ

実際はいざ私を目の前にすれば、一生謝ることはないと思います。これは断言できます。

そもそも謝るような親は毒親ではありません。

 

だから私は、謝ると仄めかされたから、

許したわけではありません。

許すとか許さないとかいう感情自体がなくなったと言えばいいでしょうか。

 

おそらく、万が一、母が謝ってきたとしても

「はいはい」っていう感じで

受け流すだろうと思います

「あ、あなた今謝りたいから謝ってるのね、はいはい」

みたいな感じだろうと。

 

いつまでも毒親と言っている場合はまだ

親子分離が不十分なのかもしれない

 

こう思えるようになったことが決して平坦な道のりではないことは、

この記事を読んでもらいたい。私の母がいかに毒母であったか、私の父がいかに毒父であったか、そのために私がどれだけの被害に遭ってきたか、読んでいただきたい。

 

rnonnon.hatenablog.com

 

病気になる必要があったし、病気になってこそ、本当の自分が明らかになったと思う

時折、思い返すことがある。

もしも、

病気になることがなかったら、、、と。

子どももいただろうなと。

 

10年以上経過しても、不調の症状があり、本当に悲しい。

感じられる不安は病前よりむしろ莫大に大きくなったくらいである。

抗うつ剤はほとんど必要なくなったが、

抗不安薬は手放せず、

身体に感じられる、なんと命名したらいいかわからない不調、

感じられる怒りと不安、は大きい。

 

だが、今は、

「自分の真実の姿が見えた。これが現実だ」

と思っている。

 

「もうそんな生き方して、誤魔化して誤魔化して生きてるぐらいなら一回ぶっ壊れた方が良くない?」

っていう感じ。

 

それで実際ぶっ壊れた。

自分の精神が思ったより、重いとかひどいとかいうこともわかりました。

でも人間てどう生きるか自由じゃないですか

どう生きても自由でしょう

私は自分が皮を剥ぐとどんな人間なのかがみたかった。

 

精神の不調というのは、母親から心理的に離れた時の、私一人単体で生きると、

私はこんなふうに、薬とか夫とか何かに依存しないと、一人で立つのはなかなか難しい人間なのだということが分かった。

そんなことがわからなくても生きてはいけるだろうし、一卵性双生児のように頼りながら誤魔化しながら生きている人たちもたくさんいるだろうと思う。

でも私は、誤魔化しがもう効かなくなっているぐらいに、ひどく依存状態にあったし、それを意識することもできない状態にあった。

少なくとも意識はするようになった。

私のとって「強迫性パーソナリティ」は守りだった

カウンセリングを受けているとき、

私は「強迫性パーソナリティー」であるがゆえに、

生き生きとした感情を表現せず生きてたことを知った。

 

だが、そうなるにはそうなるだけの理由があった。

嵐のような、表面的には見えないけれど、心理的には嵐のような、家の中にいて、

ただじっと羽織りものをかぶって、嵐が過ぎるのを待つように、

感情をフリーズさせて、周りをみないようにすることでしか、その状況をサバイバルできなかった。

今でもそのやり方を使う時がある。

 

そういう時に、時間で決まっている「時間割強迫生活」はとても役に立つ。

感情がどのように動こうと、時間割で動くことにしておけば、いいのだ

それで安心する。

 

時間割や、一応世間の常識に従って行動することで、

感情を凍結しながら、生きることができる

 

そこに、「自分の感情軸」は皆無だったと言っていい。

 

なぜか?

 

自分の感情に従っていたら、ひどい家庭環境をサバイバルすることなど、

できなかったからだ。

親に怒りと恨みを感じたら?

一人で家を出なければいけなくなる。

それも12歳や13歳で?

無理だろう。

だから感情を凍結する。

 

カウンセラーはこういうやり方を本来否定している

人は感情豊かに生きることが、大切だと考えているからだ

 

感情とつながらなかったことが鬱病や不安障害につながったとそう考えられている

同じように強迫的な生活に戻ったら、また同じことが起こると考えられている

 

でも、そうやって自分を掘らないこともまた大切な時がある

そんな気はする

そうやってかろうじて生きられるかもしれないからだ

 

そうやることによってやっと自死を免れている人もいるかもしれないからだ

つまり未だに、サバイバル状況が心の中では続いているかもしれないということだ

 

それなら感情をフリーズさせて生き残ってなにが悪い?