うつ病・不安障害日記

毒親の両親に育てられ、成人後ひどいうつ病を発症した毒子日記です。

私のとって「強迫性パーソナリティ」は守りだった

カウンセリングを受けているとき、

私は「強迫性パーソナリティー」であるがゆえに、

生き生きとした感情を表現せず生きてたことを知った。

 

だが、そうなるにはそうなるだけの理由があった。

嵐のような、表面的には見えないけれど、心理的には嵐のような、家の中にいて、

ただじっと羽織りものをかぶって、嵐が過ぎるのを待つように、

感情をフリーズさせて、周りをみないようにすることでしか、その状況をサバイバルできなかった。

今でもそのやり方を使う時がある。

 

そういう時に、時間で決まっている「時間割強迫生活」はとても役に立つ。

感情がどのように動こうと、時間割で動くことにしておけば、いいのだ

それで安心する。

 

時間割や、一応世間の常識に従って行動することで、

感情を凍結しながら、生きることができる

 

そこに、「自分の感情軸」は皆無だったと言っていい。

 

なぜか?

 

自分の感情に従っていたら、ひどい家庭環境をサバイバルすることなど、

できなかったからだ。

親に怒りと恨みを感じたら?

一人で家を出なければいけなくなる。

それも12歳や13歳で?

無理だろう。

だから感情を凍結する。

 

カウンセラーはこういうやり方を本来否定している

人は感情豊かに生きることが、大切だと考えているからだ

 

感情とつながらなかったことが鬱病や不安障害につながったとそう考えられている

同じように強迫的な生活に戻ったら、また同じことが起こると考えられている

 

でも、そうやって自分を掘らないこともまた大切な時がある

そんな気はする

そうやってかろうじて生きられるかもしれないからだ

 

そうやることによってやっと自死を免れている人もいるかもしれないからだ

つまり未だに、サバイバル状況が心の中では続いているかもしれないということだ

 

それなら感情をフリーズさせて生き残ってなにが悪い?