親なりの愛情があることと育てる能力とは別。育てる能力のあることの方が優先である。
人を好きになる能力とその相手を大事にすることができる能力(相手を傷つけない能力)とは別と誰かが言った
確かにそうだ
結婚相手では、自分なら、どちらかを選べ、と言われたら、
つまり、相手から愛されてるが大事にされない場合と
そこまで愛されてはいないが、いざ結婚したら普通に結婚生活を送れる場合と
どちらかを究極選べと言われたら、迷わず後者だ
親も同じだ
親は親なりに子供に愛情を注いでいる
でも育児というのは「なりに」では不十分どころか、有害ですらある
相手を大事にできない人はどんなに相手を愛していても、結婚生活においては有害なのだ
子供を愛してはいても大事にできない、子供を観る能力がない、想像力がない、共感性がない、暴力の衝動を抑えられない、自分が自分の親からされていないのでどう育てたらいいかわからない、能力不足は色々あるが、大抵は親もその親からまともには育てられていない
大抵の場合、「一生懸命やる」という根性論的に母親業をやるしかなくなる
反省する場合も「もっと一生懸命、親業をやればよかった」という反省の仕方しかできない
そもそもがその親からまともに育てられていない時点で、十分一生懸命生きているはずなのに、
今までだって「頑張って」きたのに、これ以上頑張らなければいけないのか、いけなかったのかと。
それが被虐待親の感情だろう
子供にとって、
特別な愛情はないかもしれないが、不適切な対応をされない育児の方が
愛情があるが不適切な対応をされるより、子どものその後の生きやすさは格段に違う
自分のことを好きみたいだが、結婚生活では自分は傷つけられてばかりだという場合には、
大抵の人は結婚生活から逃げ出すだろう
親子関係も同じだ
親子関係から逃げ出す
それしか方法がない
その人なりの愛情があるかどうかというのは、育児においてさほど問題ではないのだ
なんの面白みもないことかもしれないが、それが現実だ