自分の後ろめたさに理論武装
自分の不完全さ、人には言えないような部分ってあるでしょう。それについては劣等感をただもつだけじゃなくて、ある程度理論武装していった方がいいと思う。
それは別に事実にふたをしてるとかじゃなくて、一つの物事をあらゆる方面から考える練習にもなるし、自分を底なし沼に落としてしまうほどまでに傷つけなくて済むようになる。
私だったら、いつも考えちゃうのは、何か自分の思ったこととか意見とか、今回の原発についてもだけど、政府に対しての意見を持とうとするときに「うつ病になったくせに、何を偉そうなことを言って。実際自分が意見するようなこと自分はできるのか?またうつ病になるんでないの?」とかいう後ろめたい考えが頭をもたげてくる。
これに対しては、理論武装していいんだと思う。
例えば、政府に対する要求や批判が浮かぶ
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うつ病になって社会に貢献もできないくせにそんなこと言える身分じゃないという考えが浮かぶ
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じゃあ自分が政治家になったらそんなことできるのかよ?できないくせに要求するなという考えが浮かぶ
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後ろめたくなって意見を持つことを自分に禁止する
いつもはここで思考がストップして自己批判
でも、そのあと理論武装してみると、
→だから政治家に私はなっていない。なろうともしていない。でも政治家であるあなたは、それをする義務がある。うつ病であるからといって、意見を持っていけないということはない。うつ病は病気であって、私の人格とは関係がない。このことは対人関係療法でも言われている。