誰が見ていようと。誰も見ていなかろうと。
親の価値観の中に隠れたままでいたがる臆病な自分でもなく、
「ふつう」の中に安全パイを見つけた自分でもなく、
劣等感を裏返した「優越感」の中にいる自分でもなく、
本当の自分が、いるでしょう。
素の自分がそこに、いるはずでしょう。
いろんなことが好きで、いろんなことが嫌いな自分が、そこにいるはずでしょう。
どうして気づいてあげないの?
何かを好きと感じる自分を、何かを嫌いと感じる自分を、
あなたが気づいてあげないで
誰が気づいてあげるの?
好きならやればいいし、嫌いならやめればいい。
誰かが見ていたとしても。
誰も見ていなかったとしても。